戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

豚肉(肥前) ぶたにく

 日本では猪と豚を明確に区別しておらず、豚を食べることも少なかったという。そんな中、16世紀にポルトガルなどヨーロッパ人が来航したことを契機に、平戸や長崎では豚肉を食べる文化が普及。江戸時代においても、長崎ではオランダや中国の影響を受けて豚肉を含む肉類が食べられた。

日本人の豚に対する認識

 17世紀初頭に長崎で刊行された『日葡辞書』(日本語をポルトガル語で解説した辞典)には、"Buta"(豚)や"Cacho"(家猪)とあるが、その肉については"Chonicu"(猪肉)のみで、豚肉の記載はない*1。当時の日本人は猪肉は食べても、豚肉は食べなかった可能性がある。

 天正五年(1577)に来日したポルトガル人のイエズス会ジョアン・ロドリーゲスも『日本教会史』で以下のように述べている。

日本人はその習慣としてこれらすべての肉を忌み嫌い、驢馬も、馬も、牛も食わず、猪を除いて豚もごくまれに食べるが、鴨も鶏もまた決して食わないのである。そして、日本人は生来脂肪を嫌うが、ただ宴会や平常の食事では、狩の獲物の肉だけを使う。それは彼らが手飼いのものを不浄とし、自分の家で育てた動物を殺すのは残酷だと思うからである。

 ロドリーゲスによれば、当時の日本人は狩りの獲物は食べるが、家畜を食べる習慣がなかったという。

 以後の時代でも豚肉色は一般的ではなかった。元禄八年(1695)に刊行された人見必大の本草書『本朝食鑑』では、猪(布多)*2の利用方法について、生ゴミの処理あるいは猟犬の餌にするために飼っていると説明されている。

 その肉については無毒としつつも、他の文献を引用し「猪肉は能く血脉を閉じ、筋骨を弱くし、人肌を虚にするので、久しく食べてはいけない」とする。

 正徳二年(1712)成立の『和漢三才図会』でも、豚肉には以下のように否定的な見解が載せられている。

苦 微寒 小毒有リ
傷寒*3、瘧痢*4、痰痼*5、痔漏、諸疾アルモノ之ヲ食ヘハ、必ズ再発ス。
烏梅*6、桔梗、黄連*7、胡黄連トハ反シ、人ニ潟痢セシム。生董ト合セテ食スト面点ヲ生ズ。蕎麦ト合セテ食スト毛髪落ル。

豚の飼育と販売

 一方で、ヨーロッパ人との接触が多い肥前では豚肉食が人々に広がっていた。先述のイエズス会ジョアン・ロドリーゲスは『日本教会史』に以下のようにも記している。

家畜では、ただ犬が狩猟のために飼われ、鶏や鴨や家鴨を飼うのはただ娯楽のためであって食用にするためではない。なぜなら、(日本)王国中で、豚、牛のような家畜は不浄のものと考えられ、家畜一般の用途はその肉を食うのではないからである。
もっとも、ナウ(船)や商船で日本に行くポルトガル人との商取引でポルトガル人に売るために、これらの家畜を(日本人が)飼っている。
また、すでにこの地の多くの者がこれらのものを食っているのであって、ポルトガル人と取引するために諸地方から集まって来る商人や、一部の領主その他の者が、薬だとか珍しい物だとかいう口実のもとに食っている。

 もともと日本では豚を飼う習慣はなかったが、来航するポルトガル人に販売するために飼育が行われていたという。その後、豚肉や牛肉を食す文化は日本人にも普及し、ポルトガル人と取引する商人や一部の領主が、薬用などと称して豚肉・牛肉などの肉類を食べていたことが分かる。

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 実際に豚肉を購入した人物の記録もある。慶長十八年(1613)に肥前平戸に来航したイギリス人ジョン・セーリスは、自著『日本渡航記』に以下のように記している。

8月22日 鶏はたくさんある。鹿も同様で、赤いのと淡黄色との両方がある。野猪や、野兎や、山羊や牝牛などもある。チーズ(豆腐か)はたくさんある。バターは一つも作らない。また牛乳も飲まない。馴れた豚や子豚を、彼らは非常に豊富にもっている。
(中略)予等のかの地滞在のとき予等は最上の牝鶏と雉とを1羽3ペンスで買った。はなはだ肥えて大きな小豚が1頭12ペンス、肥えた大豚が5シリング、予等のウェールズ産のラントのような良い牛肉が1ポンド16シリング、山羊が3シリング、米が半ペニイである。

 ジョン・セーリスは「はなはだ肥えて大きな小豚」と「肥えた大豚」を購入しており、この頃の平戸には豚がたくさんいたことがうかがえる。

 江戸初期の長崎でも豚は販売されていた。長崎出島でオランダ商館長をつとめたスウェーデンフレデリック・コイエットは、『オランダ商館日誌』1648年8月21日条に以下のように記している。

島の家主たちが一般商人の食料品その他の売込みを妨害して、利益を独占しようとし、市価十匁以下の豚を二十三匁で押しつけていたので、当分豚を注文せず、通詞を責めて交渉させ、十八匁まで負けさせたが、彼らは更に努力すると言った。

 豚の市価とあることから、長崎の町の中でも豚が流通、販売されていたことがうかがえる。出島オランダ商館長はその豚の値段をよく知っており、オランダ通詞に豚の値段を交渉させたことが分かる。

江戸初期の豚料理

 慶長十八年(1613)10月10日、平戸に滞在していたイギリス商人リチャード・コックスは、領主松浦隆信の祖父松浦鎮信から、「葱と蕪菁とを入れて煮たイギリス牛肉1片と豚肉の1片」を所望されている(『イギリス商館長日記』)。

 翌日、コックスは前述の通り調理した牛肉と豚肉に、葡萄酒1壜と白パン6塊を添え、通訳ミグエルに持たせて鎮信のもとに送った。鎮信はとても喜び、孫の隆信や弟の信実、親類の「主馬殿」を招いて一緒に食べたという。

 同年11月11日にも、コックスは鎮信から、「胡椒をかけたイギリスの牛肉2片と予等の料理人の手で蕪大根及び葱と煮た豚肉2片」を所望されており、料理人に作らせて鎮信に贈っている。短期間に何度も所望していることから、平戸の松浦鎮信は牛肉や豚肉の料理をかなり気に入っていたことがうかがえる。

 中世の日本料理を伝える『大草家料理書』(成立年代不明)には、豚の油脂を用いて作る「南ばん焼」という料理が載っている。

一 同(鯛)南ばん焼は、油にてあぐる也。油は胡麻又はぶたの脂であぐるなり。後、味噌汁を入候也

長崎の豚料理

 江戸期の長崎では、オランダ人や中国人によって様々な豚肉料理が作られていた。

 文政年間に編纂された『長崎名勝図絵』には、阿蘭陀(オランダ)正月の献立が記録されており、豚肉料理として「鉢 豕油揚」「鉢 焼豕」「鉢 豕の肝を研りて帯腸に詰る」「鉢 牛豕すり合はせ同じく帯腸に詰納」「鉢 豕の肝をすり麦粉にて包み焼」「鉢 豕臘干」などがみえる。

 「豕油揚」は豚をボウトル(バター)で焼いたもの、「焼豕」は豚の焼き肉、「豕の肝を研りて帯腸に詰る」や「牛豕すり合はせ同じく帯腸に詰納」は、腸詰されたレバーソーセージや牛肉・豚肉の合い挽きソーセージ、「豕臘干」は豚のハムと推測されている。

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 また天明七年(1787)に刊行された森島中良の『紅毛雑話』には、蘭学者大槻玄沢が長崎遊学の際に食べたオランダ人の料理の献立21種が記載されている。その中には「フラートハルコ 猪の股丸焼」と「カルマナーチィ 猪の薄身 塩こせう摺こみやき」という2種の豚肉料理がある。

 フラートハルコのフラートは"braadaal"(焼いたもの、フライにしたるもの)であり、ハルコは豚を意味するハルグ関連の言葉とされる*8。すなわち豚の腿(脚)の丸焼きと考えられている。

 中国系の料理については、前述の『長崎名勝図絵』の唐館の条「唐人の宴会」に以下のような記載がある。

菜碗は豚・鶏・家鴨・野牛・・鹿肉・鹿筋(舶来す)・鹿脯(同上)・鱶鰭・煎海鼠・海粉(舶来す)・風干鶏(同上)・燕巣・鳥類・亀鼈・野菜の類を雑へ用ゆ。およそ諸品を調和するに豚の煮出しを以てすること、我が国の鰹節を用ひるがごとし。
小菜は塩辛・塩漬の類、豚の臘干・鶏卵の塩漬・鶏の肝腸等を用ゆ。かくのごとく予め調味して、酒一行を菜碗一つづつを出す。酒終へて飲食を出だし、その後菓子の鉢を以て菜碗に引き易ふるなり。

 唐人の宴会では豚料理が中心であったことが分かる。また、いろいろな料理には鰹節を使うように「豚の煮出し」を使うとされる。

 長崎では日本人も豚料理を食べることができた。天明八年(1788)十一月、長崎に来た司馬江漢は『江漢西遊日記』に以下のように記している。

八日 曇。四時より平戸屋しきへ参、ツイ立に墨梅を認め、其外画色々描、酒を呑帰る。夫より大村町定之助宅へ参る。ブタを煮て夜食を出す。至うまし。

 司馬江漢は十月二十九日にも「ブタを煮て商ふ家ありと云故に行しになし」と記しており、その時はみつからず、この日ようやく豚肉を食べることができた。

 享和二年(1802)成立の尾張商人菱屋平七による紀行文『筑紫紀行』にも、長崎の人々が豚肉をはじめとする肉類を食べていたことが以下のように記されている。

三方に山周りて、前に海水を湛へたる地なる故にや湿気深く、其上に食物は唐風の移りて、魚肉豚鶏野牛羊の類なりなどを好みて食するにより、人に湿病多しといへり。

 長崎は海に囲まれ、豚を含め肉類を食べるために湿病が多いのだという。江戸末期においても、肉食に対してネガティブな印象があったことがうかがえる。

参考文献

  • 松尾雄二 「文献にみる長崎の江戸時代のと畜について」(『畜産の研究』67巻5号 2013)
  • 松尾雄二 「文献にみる長崎の江戸時代の豚について」(『畜産の研究』67巻11号 2013)
  • 松尾雄二 「文献にみる長崎の豚肉料理について」(『畜産の研究』68巻5号 2014)

和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻 [25] 畜類 豕(ぶた)
国立国会図書館デジタルコレクション

和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻 [25] 畜類 豕(ぶた)
国立国会図書館デジタルコレクション

*1:なお"Guiiinicu"(牛肉)も記載されている。

*2:『本朝食鑑』では猪を「布多」(ブタ)としており、猪と豚の混用がみられる。

*3:外邪の侵入によっておこる重い熱病

*4:おこりからくる下痢

*5:慢性の喘息

*6:黒くいぶした梅

*7:薬草の名

*8:『外来語集覧』によれば、豚のことをオランダ語で「ハルケン varlen 豚」とある。それ以外に、同書に「ハルグ ハルケンを訛りたるもの」との記述がある。