戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

真南蛮香 まなばんこう

 シャム王国(タイ)で産出された沈香。江戸期の香道において、「伽羅」「羅国」「蘇門答刺」「真那賀」「佐曾羅」とともに「六国」の一つに数えられた。

「六国」の成立

 天正二年(1574)の「建部隆勝筆記」には、「名香木所之様体、御尋候、伽羅、新伽羅、羅国、真那班、真那賀、大形如斯候」とある。戦国期には沈香が木所で種類分けされ、その一つに「真那班(真南蛮)」があったことが分かる。

「マナバン」の意味

 「マナバン」という語は、16・17世紀に琉球首里王府で編纂された歌集『おもろそうし』にみえる。すなわち「明、正徳十二年(1517、永正十二年)十一月廿五日、ひのとのとりのへに、せじあらとみ、まなばんに御つかいめされし時、(後略)」とある。同じく「田名文書」には、明の嘉靖十二年(1542、天文十一年)に、まなばんへゆく船云々とある。古琉球語の辞書である『混効験集』坤によれば、「なばん」は南蛮を意味した。

琉球による輸入

 琉球船の南蛮(東南アジア)への渡航状況から、1517年と1542年のマナバン派遣船は、シャム(タイ)へ渡航したと推定される。シャムは15世紀以降、確認できる事例だけでも琉球船が延べ58隻派遣されており、東南アジアにおける琉球の最大の交易先であった。日本で真南蛮と呼ばれた沈香は、もともとは琉球船がシャムで仕入れた沈香であったと考えられる。

 琉球船がマナバンの沈香を輸入していた実例として、永禄二年(1559)、琉球から島津氏へ贈られた進貢品中に真南蛮香五十斤がみえる。

伽羅との比較

 寛永年間(1624~1643)にシャムに渡海した天竺徳兵衛は、カンボジアと境を接する山中で、沈香木の善い所が伽羅、悪い所が沈香とマナバンであると伝えている(『暹羅国風土軍記』)。伽羅はチャンパ(ベトナム中部)の地が産地として知られているが、名称自体は最高級品の沈香を示すものであり、特定の産地との関連はない。

 このようなことから、真南蛮香はシャム産の沈香の一種でであり、伽羅に劣る品質(普通品や下級品)のものを指していたと考えれる。

参考文献