戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

水牛 すいぎゅう

 ウシ科の大形哺乳類。アジアでは古くから家畜化されており、中世には中国、東南アジア、インド、中東、ヨーロッパにまで広く分布していた。日本では対外貿易を通じてその角が輸入されており、江戸前期からは皮の輸入も史料にみえる。

水牛の角

 水牛の角や角を加工した製品は古くから日本に輸入されていた。11世紀成立の『新猿楽記』では、日宋貿易の商人である「八郎真人」が扱った唐物として竜脳や白檀豹虎皮など様々な品目が列挙されているが、その一つに「水牛如意」がみえる。

 如意は背中のかゆいところを意の如く掻くところからきた名称といわれ、のちに僧侶が説法・法会の際に威儀を示す僧具となった。「水牛如意」は水牛の角を貼り合わせて作られたものとみられる。奈良期の水牛如意が法隆寺献納宝物の一つとして東京国立博物館に所蔵されている。

 また応永十三年(1406)に壱岐から朝鮮へ派遣された使節は、蘇木や胡椒、水牛角等を持っていっている。水牛角は蘇木や胡椒とともに東南アジアから入手した交易品とみられる。江戸期においても日本から朝鮮への水牛角の輸出は行われており、対馬宗氏は水牛角を胡椒、明礬、丹木とともに長崎で入手し、朝鮮との公貿易での交易品としている。

水牛の皮

 江戸前期からオランダ船により水牛の皮が日本に輸入されるようになる。オランダ船による輸入品のうち、皮革類としては鹿皮や鮫皮が主ではあったが、水牛皮は寛永十八年(1641)に100枚、翌寛永十九年に649枚と史料上確認できる。江戸中期の寛保および延享年間にもみえる。

 天明元年(1781)に出版された細密工芸の手引書『装剣奇賞』によると、水牛皮は大絞(おおしぼ)で真っ黒であり、大きさが長さ1間半、巾4尺余とされる。

生きた水牛の輸入

 時には生きた水牛も日本に輸入された。古くは天智天皇十年(671)に新羅使節が通常の贈り物とは別に水牛一頭、山鶏一隻を献上している(『日本書紀』)。また『民経記』仁治三年(1242)七月四日条には、西園寺公経が宋に派遣した貿易船が銭貨十万貫のほか、水牛や鸚鵡を持ち帰ったことがみえる。水牛は普通の牛の20頭分の力を持っていたという。

 19世紀に江戸幕府によって編纂された『後鑑』には、文明四年(1472)九月に周防から京へ水牛一頭が運ばれてきたと記されている。これは「故大内入道自唐土取寄二匹(之)内也」といい、その大きさは「頭ヨリ尾ノ方ヘハ一丈五寸、角ノタケ二尺八寸、広サ五寸」であった。

 同時代の記録には『兼顕卿記』文明九年(1477)十一月十一日条に「大内水牛入来当陣」とあり、『実隆公記』の同日条にも大内政弘が「水牛今夜進此方云々」とある。大内氏は遣明船等で中国と貿易を行っており、そこで水牛を入手していたのかもしれない。

 豊臣秀吉も水牛を求めていたらしい。文禄二年(1593)にスペインのフィリピン総督大使として来日したペドロ・バウティスタは、フィリピン総督宛の書簡で国王(秀吉)が小さな水牛1頭、麝香猫一つがい、何個かの壺(呂宋壷)をフィリピン総督に要望していることを伝えている。

参考文献

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ウィアン クム カーム遺跡(タイ)の水牛 from写真AC