戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

新四郎 しんしろう

 武蔵神奈河の鍛冶。年未詳(天正年間?)十二月の北条氏規朱印状の宛所として「神奈河 鍛冶新四郎」がみえる。

北条氏規被官の鍛治

 この朱印状において三崎城主・北条氏規は、新四郎が願い出た「夏秋二百七十文」の棟別の永代免除を認めた。その代わりとして「公私御用」への尽力を命じている。この棟別銭の免除は、新四郎が北条氏の被官となったことを意味するとみられている。

北条軍における鍛治の役割

  同じく年未詳七月の北条家虎朱印状 によれば、北条氏は金沢、釜利谷、日野、青木の鍛冶と、六浦の番匠を北条方警固衆の基地である浦賀に召集している。

 永禄九年(1566)四月、北条氏は金沢の鍛冶に対して、「伊藤新左衛門御預ヶ船」の修復を命じている。このことから北条家虎朱印状も、浦賀の軍船修造のための召集と推定される。鍛冶は、船釘や碇などの船金具の製造にあたったと思われる。

 家虎朱印状の地名のうち、青木は神奈河の近郊である。新四郎が北条氏から命じられた「公私御用」の中には、軍船修造のための船金具製造などがあったものと思われる。

参考文献