戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

木谷 景忠 きだに かげただ

 小早川家臣。仮名は孫四郎。竹原小早川氏の庶家・木谷氏の出身で、 隆景に仕えた。

豊前箕島の戦い

 永禄四年(1561)十月、毛利氏の北九州経略の要衝・豊前門司城を、大友氏が攻撃。小早川隆景らの反撃で撃退された。追撃する毛利方は十一月二日、村上諸氏と小早川氏の警固衆をもって豊前箕島に待機していた大友氏の軍船を撃破し、大友方の退路を遮断した。

 この豊前箕島の戦いに関する史料に「豊前今井元長船戦図」がある。この絵図には参戦した毛利方諸将の名が記されており、そこに「木谷孫四郎景忠」の名がみえる。他には村上武吉村上吉充村上武満、村上吉郷、村上吉継ら村上諸氏の将、そして乃美宗勝、末永景盛、生口景守、包久景勝、財満就久ら小早川警固衆の将が列記されている。景忠は小早川警固衆の一翼として船隊を率いて大友方への攻撃に加わったと推定される。

大坂本願寺救援

 天正四年(1576)四月、織田方に包囲された大坂本願寺を救援するために毛利氏の水軍が出動する。近世編纂の『陰徳太平記』によれば、船団の諸将の中には先述の浦(乃美)宗勝をはじめ財満、生口、末永氏らとともに、木谷孫四郎景忠も加わっていたという。

参考文献