戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

蠣崎 基広 かきざき もとひろ

 蠣崎氏の一族。当主である蠣崎義広の弟・高広の養子。蠣崎氏の重要拠点・上ノ国の城番。義広の死後、跡をめぐり季広と争った。

上之国の防衛

 大永元年(1521)、養父・蠣崎高広が死去したため家督を継いだ。江戸期編纂の『福山秘府』によれば、この年に上之国の城番に任じられている。

 享禄二年(1529)、アイヌの首長タナサカシが蜂起し、上之国に攻め寄せた。江戸初期に松前氏によって編纂された『新羅之記録』では、蠣崎義広がタナサカシを騙し討ちしたことで、アイヌ勢は総崩れになったとしている。

 一方で『松前旧記』*1によれば、セタナイ(現在の久遠郡せたな町)で蜂起したタナサカシを工藤佑兼が迎え撃ったが、佑兼は討死し、上之国まで攻められた。この時、佑兼の弟・佑致がアイヌを欺いてタナサカシを誘い出し、蠣崎義広が弓矢で射殺したという。

 また『東蝦夷夜話』*2では、タナサカシを討ったのは、上之国に在城していた蠣崎義広の弟「高広」であるとしている。実際には、高広は既に死去しているので、基広を指すと考えられる。

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タリコナ軍を破る

 天文五年(1536)六月、西部のアイヌ首長タリコナが蜂起した。『新羅之記録』では、タリコナ夫妻を蠣崎義広が騙し討ちしたとしている。

 しかし『東蝦夷夜話』によると、熊石(二海郡八雲町)近辺で蜂起したタリナ(タリコナ)の軍勢はおよそ500人で、近日には松前に押し寄せてくると斥候が報告をしてきた。これに対し、上之国の工藤佑致を先鋒として蠣崎高広(基広を指すとみられる)が300人で出陣し、これを鎮圧したという。

蠣崎季広への謀叛

 天文十四年(1545)、蠣崎義広が死去し、子の季広が跡を継いだ。『新羅之記録』によると、上之国の蠣崎基広は、季広を討とうとし、呪詛調伏を賢臓坊という法師に命じていた。天文十七年(1548)三月、季広が上之国を訪れた際に、賢臓坊は暗殺を試みるも失敗し、基広の謀叛が発覚する。季広は松前に戻った後、家臣の長門広益を派遣して基広を討たせた。

 上之国には替わって南条広継が入った(『福山秘府』)。

参考文献

*1:函館在住の町人で学者の淡斎如水が、松前氏の歴史を自身で史料を収集してまとめたもの。幕末ごろの成立とされる。

*2:幕末に蝦夷地を訪れた医師・大内余菴が著した。自身が見聞きした「面白い話」を書き留めた書籍として当時出版もされている。