中国南宋の張九成によって著された儒書。宋代の刊行本が唯一、京都東福寺に現存している。端麗な宋版の実例としての書誌学的価値から、国の重要文化財に指定されている。
忘れられた書物
朱子学の創始者・朱熹は、『中庸説』の著者・張九成を洪水猛獣同様に有害であると批判した。このため張九成の存在は忘れられ、やがて『中庸説』も中国では姿を消す。
円爾、日本に持ち帰る
張九成が人々から忘れられかけていた13世紀。中国(南宋)に渡航した日本僧・円爾は、帰国に際して多くの経典や儒書を携え、自身が開山となった京都東福寺に持ち込んだ。その書物の中の一つに、『中庸説』があった(「普門院経論章疏語録儒書等目録」)。
注目されなかった為に
円爾が『中庸説』とともに請来した朱子学やその後学の儒書は、日本の朱子学受容に大きな役割を果たしたとみられる。しかし長い年月の間に、ことごとく喪われていった。
このような中で『中庸説』は、円爾請来本としては例外的に現存することになる。誰からも注目されることがなく、その為、借り出しや献上による流出を免れたのではないかともいわれる。