温井氏の被官。温井氏による輪島支配を、代官として実質的に担当したとみられる。
輪島の代官
玉蔵坊英性は、大永四年(1524)五月、温井孝宗が願主となった輪島の重蔵宮本殿造営に代官として関わった。また享禄四年(1531)六月の重蔵宮の神輿再興のときは、願主・温井孝宗の代官・筒井孫次郎の小代官としもその名がみえる。
二つの時期で玉蔵坊は、輪島において温井氏の支配を代行していたとみられる。その名乗りから、輪島で金融や海運業にたずさわる商人的山伏ではなかったかとされる。
温井氏との距離
一方で弘治・永禄年間の温井氏の内乱に際しては、温井氏とは異なる立場をとった。温井氏と対立して七尾城に篭城していた畠山義綱に支援を送って恩賞を得ている。
このことから、玉蔵坊は温井氏の被官(家臣)として輪島の支配にあたっていたわけではなく、元来、輪島に何らかの基盤を持っていて、その為に契約的代官として登用された可能性も考えられる。