戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

雪田 光理 ゆきた みつただ

 石見国邑智郡阿須那本拠地とした国人領主石見高橋氏の家臣。家中の有力者の一人。官途名は民部少輔。その姓から雪田村(島根県邑南町雪田)を拠点としたとみられる。

雪田村を支配する高橋氏一族

 文明八年(1476)九月、石見高橋氏は石見の有力国人である益田兼堯・貞兼父子と、緊密に連携し相互に扶助することを約した契約状を取り交わした。この時、高橋氏当主の命千代は元服前であったため、一族・家中の有力者16名*1が円を中心に放射線状に署判を加えている。その一人に「雪田民部少輔光理」がみえる(「益田家文書」)。

 その姓から雪田村(島根県邑南町雪田)が拠点だったとみられ、同地の国信山城跡が雪田光理の居城であった可能性が指摘されている。

高橋氏滅亡後

 享禄三年(1530)、石見高橋氏は安芸毛利氏に滅ぼされ、その旧領の大部分は毛利氏の知行となった。天文十一年(1542)二月、毛利元就は出羽佑盛に雪田村を与えている。この時、元就は「此方知行高橋一跡之内雪田村之事進置候」と述べており、雪田村が高橋氏惣領家の遺領だったことが分かる(『閥閲録』巻43)。

 雪田村には阿須那賀茂神社の祭礼神田もあり、惣領家本拠地である阿須那との関係が近かったことがうかがえる。天文十一年(1542)閏三月、毛利氏奉行人の粟屋元国と井上就重が阿須那村・戸河内村・雪田村の三ヶ村にある阿須那賀茂神社の祭礼神田のリストを作成。雪田村の神田は、国信の1貫800文(正月一日賀茂祭)や下雪田の1貫800文(三月三日賀茂祭)などが記されている(「阿須那賀茂神社文書」)。

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参考文献

  • 森岡弘典 「邑南町の高橋氏関係史跡」(ロビートーク「邑南町の高橋氏関係史跡」 2019年12月7日 於安芸高田市歴史民俗博物館)
  • 邑南町教育委員会 編 『中世邑南町域関係史料集』 邑南町・邑南町教育委員会 2024

島根県邑南町雪田の国信山城跡

長源寺から見た雪田地区

*1:口羽下野守光慶、岡長門守光基、上出羽越□□光教、新見□後入道浄鳳、山形河内□光朝、重延大和守光秀、与次郎清光、山城守光直、下出羽藤兵衛尉光明、長田備前光季、北越後守光康、井戸大膳助光益、横田常陸守朝光、雪田民部少輔光理、生田右馬助秀光、繁安筑後守光通