戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

君谷 実祐 きみだに さねすけ

 石見国邑智郡君谷(島根県美郷町君谷川流域)を本貫とする国人。実清の子で祐忠の父。仮名は三郎二郎。官途名は弾正左衛門尉。出家後は道祐の法名を名乗る。南北朝期、北朝方として軍功を挙げ、邑智郡の上下出羽郷地頭職を得た。

出羽郷地頭職を得る

 君谷氏の本貫は石見国邑智郡君谷(島根県美郷町君谷川流域)*1元徳二年(1330)三月六日、君谷実祐は父実清から「君谷村内小谷村其外村々事」を譲与されている(「出羽家文書」)。

 貞和四年(1348)、実祐は北朝の石見守護上野頼兼に従って八月二十四日から同二十七日まで三隅城(浜田市三隅町三隅)の大手を攻め、二十五日の合戦では若党の馬五郎や清七および郎従の清源太が負傷。同二十八日は鳥屋尾城(浜田市三隅町井野)大手での合戦で親類の津志見実縄・実弘が負傷し、同夜には駕先城内に攻め入って富部河隼人祐の若党村田八郎左衛門尉が敵の頸を取ったという(「出羽家文書」)。

 文和元年(1352)十月十七日、実祐は石見守護石橋和義から、軍功を挙げれば安堵の下文を与えるとして邑智郡出羽郷(邑南町出羽)を預けられる(「出羽家文書」)。実祐は期待に応えて活躍したらしく、翌文和二年(1353)四月五日、足利義詮は勲功を賞して実祐に「出羽上下郷地頭職」補任の下文を発給。同八日、幕府は石見守護荒川詮頼に対し、出羽上下郷を実祐に沙汰するよう命じている(「出羽家文書」)。

 ただ、実祐の出羽上下郷支配はすんなりとは行かなかったらしい。同年六月五日、実祐の訴えを受けた石見守護荒川詮頼は、高山行家に対して出羽上下郷地頭職を沙汰し付けるよう指示。同月二十日、行家は出羽上下郷地頭職を打ち渡す旨を実祐に伝えている(「出羽家文書」)。

実祐以前の出羽郷

 鎌倉期の出羽郷は国衙領であった。正応二年(1289)から同四年(1291)にかけて隣接する賀茂別雷社領久永荘との間に境相論がおこっている(「鳥居大路家文書」「早稲田大学所蔵文書」「山城斎藤文書」)。

 出羽郷の地頭には富永氏が任じられ、後に出羽氏を名乗ったと考えられている。しかし建武三年(1336)十一月、上下出羽郷は足利尊氏によって京都本圀寺に寄進されている(「山城本圀寺文書」)。この時期、富永(出羽)氏はすでに没落していたとみられる。

 その後、上下出羽郷は貞和三年(1347)に園城寺造営料所とされており(「園城寺文書」)、文和元年(1352)十月七日には足利義詮によって同郷地頭職が園城寺に寄進されている(「園城寺文書」)。そして同年十月十七日、前述のように君谷実祐が石見守護石橋和義から出羽郷を預けられ、翌年四月に足利義詮から「出羽上下郷地頭職」に補任された。

 君谷氏の本貫である君谷はもとは佐木郷の内にあり、邇摩郡大家東郷を本拠地とする大家氏の所領だった。大家氏には前述の富永出羽氏から養子に入った人物がおり、その人物が君谷を領有したことで君谷氏が成立した可能性が指摘されている。

 この後、実祐が出羽郷を獲得して以後、君谷氏は出羽氏を称するようになる。没落した富永出羽氏惣領家にかわり、その一族である君谷氏が出羽氏惣領家を継承したと考えられている。

石見高橋氏の侵攻

 延文六年(1361)三月五日、出羽郷東方の阿須那庄を本拠地とする南朝方の(高橋)九郎左衛門尉光明が出羽郷に侵攻。当時出家して道祐の法名を名乗っていた出羽(君谷)実祐は抗戦するも、同年九月四日、「出羽城」において討ち死にした(「出羽家文書」)。

 実祐の跡は子の祐忠が継承。「君谷村内小谷村其外村々事」など父実祐が祖父実清から譲与された君谷の所領を受け継いだ*2

 出羽郷については貞治二年(1363)十二月、足利義詮が荒川詮頼に対し、「濫妨人」を退け上下出羽郷地頭職を出羽実祐の後継者に沙汰するよう命じている(「出羽家文書」)。出羽郷の「濫妨人」とは、同郷に侵攻して実祐を討ち死にせしめた石見高橋氏であり、合戦に敗れた君谷出羽氏は高橋氏に上下出羽郷を押領されることとなった。

 君谷出羽氏は以後、幕府の要請に応えて各地に出陣して軍忠に励み、上下出羽郷地頭職の安堵を受けながら、所領回復の機会をうかがい続けることとなる。

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参考文献

下出羽郷山田の堀越城跡から眺めた二ツ山城跡。君谷出羽実祐が討ち死にした「出羽城」は、この二ツ山城ともされる

『萩藩閥閲録』巻43出羽源八(大日本史料 第6編之11)
国立国会図書館デジタルコレクション

*1:君谷の地名は貞応二年(1223)三月の「石見国中庄公惣田数注文」に邑智郡公領の一つ「き見たに」としてすでにみえる(「益田家文書」)。

*2:貞治三年(1364)正月に石見守護荒川詮頼から安堵を受けている。