戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

字号船 じごうせん

 中国の明朝から琉球に下賜された海船。その名は『宝案』などの漢籍史料において「◯字号船」として記載されていることによる。明朝は1385年(至徳二年)から15世紀前半にかけて多くの船を琉球に提供。それらは福建の各衛所所属の戦船であったとみられる。

明朝による琉球への海船下賜

 1368年(応安元年)、中国で明朝が成立。1372年(応安五年)、琉球の中山王察度が弟の泰期を明朝に派遣したことで、琉球と明朝の公式の関係が始まった。

 明朝は琉球への優遇政策を採り、1385年(至徳二年)に琉球に初めて海船を下賜(『明太祖実録)洪武十八年正月丁卯条)。以後、多くの海船か琉球に提供された。琉球の『宝案』には1439年(永享十一年)の時点のこととして以下のように記されている。

比先洪武・永楽年間、数ふるに三十号船有るも、逓年往来して多く破損を被り、止だ海船七隻を存するのみ

 明朝の洪武・永楽年間に琉球に下賜された海船は、30隻に及んでいたことが分かる。1380年代から1450年代にかけて行われた琉球の活発な対明朝貢は、これら多数の海船により実現したと考えられている。

 これらの明朝から下賜された海船は、 現在の琉球史研究において一般的に「字号船」と呼ばれている。『宝案』などの漢籍史料において「◯字号船」として記載されていることによるとされる。使われた字には、恭・順・天・安・地・荒・永・義・勇・猛・盤・徳・勝・智・徳・寿・寧などがある。

琉球に提供された勇字号船

 1387年(嘉慶元年)、海防の強化を図る明朝は崇武半島(福建省泉州市恵安県の東南部の泉州湾と湄州湾に挟まれた半島)の南側に位置する丘陵部に崇武千戸所を設置し、崇武所城を築いた。

 『崇武所城志』*1「戦船」には、崇武千戸所に配置されていた船隻のうち、各百戸が管理していた官船・快船についての記載がある。これによると、崇武千戸所の戦船編成は、「勝字」の八百料官船、「勇字」の四百料船、「福字」の快船によって構成されていたことが分かる。

 このうち、百戸・経が管轄していた「勇字五十九号」四百料官船について、以下のように記されている。

此の船は後に琉球国中山王に送られ、差わされた長史郭祖尾をして国に去かしむ。

 琉球の『宝案』にも、1434年(永享六年)の中山王尚巴志から礼部への咨の中に「長史郭祖海・程安等」が1431年(永享三年)に謝恩使節として明朝に派遣された際、福建にて海船一隻を賜ったとする記述がある。そしてその後、『宝案』中に「勇字号船」の派遣が1442年(嘉吉二年)まで確認できる。

 このことから、『崇武所城志』の「勇字五十九号」官船は1431年から1434年までの間に琉球に下賜され、琉球側で以後「勇字号船」として運用されたことが分かる。また琉球のいわゆる字号船とは、明朝の衛所にて字号によって登録された軍船であったことも知ることができる*2

字号船の規模

 『崇武所城志』によれば、琉球に下賜された勇字号船は「四百料官船」と呼ばれるタイプの海船であった。

 1料=522.6リットルと換算されることから、四百料官船は約209キロリットルの容積を運ぶことができる船ということになる。これは日本石での数値に換算すると約1158.82石となる。また『崇武所城志』には官船一隻に軍士110名が搭乗するとあるので、100人台前半が乗員数の上限であったとみることがてきる。

 なお15世紀中葉以降、明朝から海船の下賜はみられなくなり、以降の琉球は16世紀前半までは福建で自弁建造を行う*3。成化年間から16世紀初めに至るまでの琉球海船の乗船員数は、『宝案』によれば最大で366人、平均でも200人台後半であり、勇字号船と比べて大型の船体であったことが推定されている。

 一方で明朝の洪武・永楽年間から宣徳・正統年間に至るまでの間には、勇字号船より大きな官船が琉球に提供された可能性もある。15世紀後半の琉球の派遣船同様に一隻あたり200人台後半を搭乗させることがあったとすれば、その船は崇武千戸所所属の「勝字」八百料官船クラスが想定される。実際に1427年(応永三十四年)に琉球から暹羅国へ勝字号船が派遣されており(『宝案』)、この船は八百料船であった可能性も十分あり得るという。

参考文献

  • 岡本弘道 「古琉球期の琉球王国における「海船」をめぐる諸相」(『東アジア文化交渉研究』1 2008)
  • 東恩納寛惇 『黎明期の海外交通史』 帝国教育会出版部 1941

皇明実録29 洪武十八年正月丁卯条
国立公文書館デジタルアーカイブ

東恩納寛惇 『黎明期の海外交通史』 帝国教育会出版部 1941
国立国会図書館デジタルコレクション

東恩納寛惇 『黎明期の海外交通史』 帝国教育会出版部 1941
国立国会図書館デジタルコレクション

東恩納寛惇 『黎明期の海外交通史』 帝国教育会出版部 1941
国立国会図書館デジタルコレクション

*1: 明朝の嘉靖二十一年(1542)に最初に編纂された。

*2:このほか『宝案』には、「順字号海船一隻」が元は福建郡司永寧衛に属していたことなどがみえる。

*3:16世紀後半以降は自国で「土船」の建造を行うようになる。