小田原の問屋商人。永禄年間から天正年間にかけて、北条氏の城下町・小田原の宮前下町の奉行をつとめた。
小田原宮前下町奉行
永禄九年(1566)頃の五月、北条氏康は「宮前下町奉行賀藤」に対し、宮前下町の者で分別のきく適任者をリストアップして、正木権五郎*1の監視番に充てるよう命じている。
このことから、賀藤が小田原宮前下町の町人を束ねる商人頭のような地位にあったことがわかる。また人質の監視といった軍事的性格の濃い任務も任されていることから、北条氏と近い関係にあったことがうかがえる。
関東各地の商人との取引
天正十年(1582)、四月二十七日付の虎朱印状の宛先に「宮前町賀藤」として賀藤の名がみえる。この虎朱印状では、賀藤が長年、武蔵、上野、上総、下総からやって来る商人たちの問屋をつとめていることが記されている。その上で、宿の清掃管理や他所からの来訪者の出入りの城中への報告が命じられている。
賀藤が小田原において、関東各地の商人たちと取引する問屋商人、宿経営者だったことがわかる。これらの活動を背景として、北条氏から宮前町をまとめる「奉行」としての役割を与えられていたと思われる。