戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-05-04から1日間の記事一覧

糸賀 藤棟 いとが ふじむね

厳島神主家の被官。中務丞。 宣棟の兄。廿日市に近接する宮内などに所領を持ち、新堤築造などの開発事業にも携わった。

糸賀 惟秀 いとが これひで

厳島神主家の被官として活躍した糸賀宣棟の嫡子。官途名は内蔵助、後に淡路守。父とともに廿日市を拠点に経済活動を行ったと推定される。

糸賀 宣棟 いとが のりむね

厳島神主家の被官。糸賀惟秀の父。糸賀藤棟の弟。平左衛門尉。商人的な性格をもって廿日市の流通課税徴収などにあたった。

中丸 山城守 なかまる やましろのかみ

戦国末期、廿日市町衆の一人に名を連ねた有力商人。厳島の対岸・大野を本拠地とする武士的商人・中丸氏の出身。

宗慶 そうけい

厳島の薬師。厳島の南小路に屋敷を構えて居住していた。

くらや 新右衛門尉 くらや しんえもんのじょう

戦国期、厳島の有力商人。土倉を経営し、金融業に携わったとみられる。

黒田 高政 くろだ たかまさ

六角佐々木氏の家臣。右近太夫。黒田重隆の父。戦国末期、羽柴秀吉に属して活躍した黒田官兵衛尉孝高の曽祖父にあたる。

三宅 国秀 みやけ くにひで

備中連島の「海賊」、あるいは商人。官途名は和泉守。 永正十三年(1516)、薩摩国・坊津に12艘の船舶を率いて停泊中に、島津氏の襲撃を受けて殺害された。

宗貞 むねさだ

備中笠岡の刀工。15世紀後半に活躍したとみられる。備後の鞆の刀工・貞次の子。笠岡城主・陶山宗兼の招きで笠岡に移住した。

神門 国清 ごうど くにきよ

16世紀前半から中頃に活躍した杵築大社大工職・神門氏の当主。次郎左衛門尉。神門慶清の父。神門氏は永正九年(1509)の段階では「北島方大工塩冶の神門」としてみえる。杵築大社を司る千家・北島の両国造家のうちの、北島氏に属する大工であった。