リスボンの日本人奴隷
1570年代初頭、当時10歳にも満たない年齢であったマリアは、日本人奴隷としてポルトガルに連れてこられた。その後、二十年以上、リスボンの港に面したサントス修道院の修道女ドナ・フィリッパ・デ・ゲーラに仕えた。
主人の死後
1596年二月七日、ゲーラは遺言状に、自分の死後にマリアを解放*1するよう書き残している。
参考文献
*1:「解放」は、実際のところ厄介払いである場合も多かったとされる。奴隷が年をとり、仕事ができなくなると、厄介者でしかなくなり、彼らの面倒を見るのを嫌がる主人は、それらの奴隷を「解放」したという。