戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ハガセ はがせ

 六枚櫂の中型船。近世の史料には「羽風」、「羽賀瀬」としてみえる。船底は平らで堅牢であったが、ムシロ帆による帆走の性能は低かった。主として櫂走であり、そのため波の荒い日本海においても航行が可能で、日本海沿岸を広く活動したという。

若狭国の商船

  慶長七年(1602)六月十六日付の若狭国における「国中浦々れうし船」の書上には、六人乗りの船についてしばしば「ハガセ」という注が付されている。

 この史料は、「れうし(漁師)船」、つまり漁船の調査を目的としたものとみられるが、六~四人乗りの船については「あきない船」の注記が少なくない。それらは「三国や」や「くみや(組屋)」といった廻船業者の持ち船でもあった。六人乗りの「ハガセ」級が、廻船も兼ねていたことが推定される。

日本海を航行する船

  慶長十三年(1608)七月、越前・三国の廻船問屋である森田氏は、佐渡大久保長安から「六枚かい(櫂)のふね壱艘」について佐渡中を無役で営業してよいとする許可を得ている。この六枚櫂船は、ハガセと同一の型である可能性が高い。ハガセが少なくとも三国から佐渡にいたる海域を航行していたことがうかがえる。

 また山陰の鉄の積出港である宇竜には、「北国船」や「因州但州船」が来集したことが知られる。しかし宇竜の港は、大型船が多数着船できる規模ではなかった。おそらくハガセのような中・小型船が大部分であったとみられる。

参考文献

  • 永原慶二 「戦国織豊期日本海海運の構造」( 『戦国期の政治経済構造』) 岩波書店 1997