戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

能美 左馬允 のうみ さまのじょう

安芸国能美島の土豪。防芸引分では、毛利氏に協力して能美島の調略を行った。後に能美島を支配した来島村上氏に仕えたか。行動の詳細は不明ながら、来島村上氏が毛利氏から離反した際、関係者の話題にあがっている。

能美 右近助 のうみ うこんのすけ

来島村上家臣。幼名は千壽丸。仮名は四郎。官途名は右近助。安芸国能美島(現在の江田島市能美島)の出身か。来島村上通康と、その子通総に仕えた。

前伯耆守 通定 さきのほうきのかみ みちさだ

伊予国守護・河野氏の被官。在京中の当主と接触する立場にあった。一方で京都の東寺からは海賊と認識されており、東寺領弓削嶋荘の年貢徴収を請け負った。後の海賊衆・来島村上氏に連なる人物ともされる。

土倉 冬平 とくら ふゆひら

大崎西庄(大崎上島町のうち木江・沖浦・明石)の地頭。応永三十五年(1428)四月、御串山八幡宮(大崎上島町明石)の社殿造立に関わった。安芸国人・沼田小早川氏の諸氏家である土倉氏の当主か。

フワン・ロピス Juan Lopis

17世紀初頭、マルク諸島のテルナテ島に住んでいた日本人。テルナテ島を含むマルク諸島には、オランダ東インド会社に雇われた日本人が連れてこられていた。フワンもその一人だったとみられる。

マキアン Makian

インドネシアのマルク諸島(モルッカ諸島)の一つマキアン島の港町。マキアン島は、テルナテ島とならぶ丁子(クローブ)の産地であり、マルク諸島最良の港を持つことで知られた。

高橋 興光 たかはし おきみつ

石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の当主。仮名は大九郎。高橋弘厚の子。江戸中期に作成された「安芸国高田郡図」では、高田郡横田村の松尾城(広島県安芸高田市美土里町横田)について城主高橋大九郎としている。