戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

カカオ(エクアドル) cacao

 チョコレートの原料となるカカオ(テオブロマ・カカオ)の栽培は、南米エクアドル南端の高地アマゾンにおいて、紀元前3300年には始まっていた。その後、カカオ栽培は品種改良と並行しながら太平洋沿岸地域、さらにはメソアメリカ地域にも伝播していったと考えられている。

カカオ栽培の起源

 カカオ(テオブロマ・カカオ)の植物としての起源は、アンデス山脈の東側、アマゾン川上流域とされる。

 カカオの栽培と利用の起源に関する痕跡は、エクアドルの南端の高地アマゾンで栄えたマヨ・チンチペ/マラニョン文化のサンタアナ・ラ・フロリダ遺跡(紀元前3500~1700年頃)でみつかっている。すなわち2018年に発表された研究によれば、海抜1040mに位置する同遺跡において、紀元前3300年頃に制作されたとみられる複数の鐙(あぶみ)型ボトルからカカオの残滓*1が発見された。カカオの種を挽いて、飲み物を作っていた可能性が高いという。

 サンタアナ・ラ・フロリダ遺跡は、アメリカ大陸最古級の土偶や土器が作られたバルディビア文化(紀元前4000~紀元前1600年)の中心地サンタエレーナ半島と前述のカカオの推定原産地の結節点に位置している。実際、マヨ・チンチペ川流域では脊椎動物や貝類が発見されており、アンデス地域や太平洋沿岸の人々と商業的な交流を行っていたことが分かっている。

周辺地域への伝播

 2018年以後の研究により、カカオ利用の痕跡は前述のバルディビア文化やコロンビアのプエルトオルミガ文化の陶器から見つかっているという。また陶器から見つかった古代DNAは、さまざまな文化がカカオの木を新しい環境に適応すさせるために交配したことを示している、とされる。

 その後もカカオの栽培と利用は陸路あるいは海路などにより周辺地域に伝播していったとみられる。エクアドル海岸地方のチョレーラ文化(紀元前1000〜紀元前100年)では、カカオポッド(カカオの外殻)を現した植物型笛吹きボトルが確認されており、エクアドル北中部海岸で栄えたハマ・コケア文化(紀元前350~紀元1532年)では、カカオポッドを模した陶器のパイプやカカオ豆のマントを着た貴人の土偶がみつかっている。

 カカオの利用はさらに北上してメソアメリカ地域にも伝播。ベリーズ北部の遺跡クエリョでは紀元前400~紀元1年頃の炭化した完全な豆が出土。この頃には同地域でカカオが用いられていたことが分かる。また紀元前後にマヤよりも栄えていたイサパ遺跡(メキシコ・チャパス州)では、紀元前200年から紀元200年頃の製作といわれる石碑群の中にカカオらしきものが描かれている。

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参考文献

【人面象形鐙型ボトル(複製)】
南部アマゾン高地(エクアドル) マヨ・チンチペ文化 紀元前3300年頃
画像はBIZEN中南米美術館にて撮影

【貴人土偶
エクアドル北中部海岸 ハマ・コケア文化(紀元前350~紀元800年)
カカオ豆のマントを着た貴人の土偶
画像はBIZEN中南米美術館にて撮影

カカオの起源についての解説パネル(BIZEN中南米美術館)

天然カカオ推定原産地についての解説パネル(BIZEN中南米美術館)

*1:土器片の内面に付着したカカオ属種に特有のデンプン粒の存在、カカオにあって近縁の野生種にはない苦味アルカロイド・テオブロミンの残留物、そしてカカオ特有の塩基配列を持つ古代DNA断片の3つを発見した。