戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ラスター彩陶器  luster ware

 9世紀にアッバース朝支配下イラクで生まれた白濁釉陶器。ガラス器製作の技術を応用し、金属器の光沢を放つことが特徴。中近東において長らく最高級陶器としての地位を占めた。またムスリム商人によって東アジア・東南アジアにまでもたらされた可能性がある。

ラスター彩陶器の誕生

 ラスター彩陶器は9世紀のアッバース朝イラクにおいて誕生したとされる。836年(承和三年)から892年(寛平四年)の56年間に同国の首都となったサッマーラーの遺跡から、ラスター彩陶器は出土している。

 ラスター彩陶器の生産技術は、白釉藍彩陶器などに用いられた錫白釉の技術をベースとして、ガラス器に使用されていたラスター彩の技術が陶器に応用されたと考えられている。すなわち、器に白濁釉を施した後一度焼成し、その上にラスター彩顔料(銀と銅が主成分)で彩画し、再度低火度強還元焔で焼成する。まさに上絵付けの技法が使われているとされる。

 なおラスター彩陶器に応用されたガラス装飾の為のラスター彩技法は、8世紀後半にはたしかに存在していた。それは、エジプトの旧都フスタート遺跡において、それぞれ772年(宝亀三年)頃と779年(宝亀十年)頃の年代と人名が記された2点のラスター彩ガラスが発掘されていることから分かる。現在知られているラスター彩陶器には、この8世紀後半に遡る資料がないため、ガラスの装飾技術が陶器に応用されたと考えられている。

 また、当初は多彩ラスター彩陶器(複数の色調のラスター彩が施された陶器)が製作されていたが、後により金属的な光沢を持つ単色ラスター彩陶器へと変わった。この金属器の光沢を放つ陶器は、以後、中近東で製作された陶器のなかでも、最高級陶器の地位を占めることになる。

東方への移出

 9~10世紀、アッバース朝時代のイラン東部から中央アジアにかけての領域は、イラン系イスラーム王朝であるサーマーン朝が支配していた。同国の支配下にあるイラン北東部のシルクロードの中継都市ニーシャプールの遺跡からは、多様な陶器が出土している。

 これらの陶器には、ニーシャプールやその近郊で生産されたものと、中国磁器や白濁釉陶器など交易によって遠隔地から輸送されたものがあった。白濁釉陶器の中にはラスター彩陶器も含まれており、これらはイラクのバグダートやサーマッラーまたはイラン西部のスーサなどの都市からニーシャプールに輸送されたものと推定されている。

 またニーシャプールやその近郊で生産された陶器には、イラクやイラン西部の白濁釉陶器を模倣したものがあり、そこにはラスター彩陶器を模倣した釉下彩陶器も含まれる。当然光沢はないが、主文様の周りをパネル状の文様で囲みピーコックアイとも称される円文で埋め尽くす装飾様式は、ラスター彩陶器によくみられる。

 さらにパキスタン南部のバンボール遺跡やスリランカ北端のマンタイ遺跡といった港湾遺跡から、イラクやイラン西部で生産された白濁釉陶器やラスター彩陶器が出土している。これらはバスラやシーラーフといったペルシア湾岸の港から船積みされたものと考えられている。

 なおラスター彩陶器は、ベトナムチャンパ王国における9~10世紀の海上交易拠点であるクーラオチャム島からも出土している。クーラオチャム島は9世紀にはムスリム商人の海上ネットワークにおける寄港地となっており*1、この海上ネットワークによってラスター彩陶器が東南アジア、東アジアにももたらされていたことがうかがえる。

生産地の移動

 10世紀後半にアッバース朝が衰退すると、その生産地はファーティマ朝のエジプトに移動。エジプトでの生産は12世紀代まで続いた。

 なおラスター彩陶器の生産は、特定の時期においては限られた地域でしか生産されておらず、しかも生産の中心地が移動した後、それ以前の生産地では生産の痕跡が認められなくなる。したがって、ラスター彩陶器の製作技術が特定の陶工集団によって独占され、パトロンとなる王侯貴族を求めて職人が移住することによって、生産地が移動したと考えられている。

 エジプトでの生産が12世紀代で終わると、その後シリアやセルジューク朝支配下のイランで生産が開始された。窯業地としてはシリアのラッカや、イラン中部のサーヴェ、カーシャーンなどの都市が知られる。岡山市立オリエント美術館所蔵のラスター彩文字文皿には、1207年(承元元年)から1208年(承元二年)にあたるヒジュラ暦604年の銘文があり、この皿とその絵付けの製作年代を示しているとされる。

 イランにおけるラスター彩陶器の生産は14世紀以降衰退し、18世紀までは製作されていたが、それ以降次第に忘れ去られた。一方、ラスター彩陶器の技術は13世紀にスペインに伝わり、その後、イタリアなどでラスター彩陶器の技法を用いた陶器が製作される。

参考文献

  • 岡野智彦 「イスラーム陶器の誕生とイラン西部の陶器」(岡野智彦 編 『魅惑のペルシア陶器 イスラーム陶器誕生までの流れ』 中近東文化センター附属博物館 2007)
  • 岡野智彦 「西アジアの陶磁器生産と海外輸出―イスラーム陶器産業の成立とインド洋交易の考古資料―」(アジア考古学四学会 編 『アジアの考古学1 陶磁器流通の考古学―日本出土の海外陶磁―』 高志書院 2013)
  • 新免歳靖・岡野智彦・二宮修治 「初期および中期ラスター彩陶器の胎土分析による生産地推定」(『総研大文化科学研究』第 6 号 2010)
  • 菊池百里子 「大越国陳朝期の交易と海域アジア」(『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』5 2019)

アッバース朝時代のラスター彩陶器の瓶 9世紀
シカゴ美術館公式サイトより

ラスター彩陶器 イラン 13世紀後半から14世紀初頭
シカゴ美術館公式サイトより

セルジューク朝時代のラスター彩陶器のボウル イラン
シカゴ美術館公式サイトより

ラスター彩陶器の水差し イラン・カーシャーン 1170年頃 - 1200年頃
アムステルダム国立美術館  https://www.rijksmuseum.nl/nl/rijksstudio

ラスター彩陶器の水差し イラン・カーシャーン 約1200年 - 約1220年
アムステルダム国立美術館  https://www.rijksmuseum.nl/nl/rijksstudio

ラスター彩陶器のボウル イラン・カーシャーン 1200年頃 - 1220年頃
アムステルダム国立美術館  https://www.rijksmuseum.nl/nl/rijksstudio

ラスター彩陶器の星形タイル イラン・カーシャーン 1290年頃 - 1311年頃
アムステルダム国立美術館  https://www.rijksmuseum.nl/nl/rijksstudio

*1:シーラーフの人アブー・ザイドが9世紀中頃に著した『シナ・インド物語』には、チャンパ王国は「サンフ」として登場。中国に向かう船は「スンドル・フーラート」に向かうこと、ここでは真水が得られることが記されており、これがクーラオチャム島に比定されている。