戦国日本の津々浦々 ライト版

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持光寺蔵「絹本著色普賢延命像」 けんぽんちゃくしょくふげんえんみょうぞう

  平安時代末期に制作された仏画。二十臂(二十本の腕)を持つ普賢延命菩薩が白象に乗る姿が描かれている。持光寺(広島県尾道市西土堂町)の所蔵。国宝。

平安末期の普賢延命菩薩像

 本像を所蔵する持光寺は広島県尾道市西土堂町に所在する。同寺は承和年間(834~48)に天台宗慈覚大師によって開かれたと伝わる。元は天禅寺と称し、天台宗の寺院であったが、永徳二年(1382)に浄土宗に改宗され、日輪山金剛台院持光寺として現在に至る。

 本像で描かれる普賢延命菩薩像は、病気を滅して寿命増益をはかる密教の修法「普賢延命法」の本尊として懸架される。この修法は東密(真言宗)・台密(天台宗)で広く行われたという*1

 普賢延命法は10世紀ごろから行われ、以後引き続いて宮廷や貴族の間において盛んに修法された。延久四年(1072)から長承二年(1133)までの間については、この修法の記録を集めた『普賢延命法日記』により、ほとんど毎年に近く、貴族の間において盛大に行われていたことが知られる。これにともない、その本尊である普賢延命菩薩像が制作されていったと推定される。

 本像は画絹(えぎぬ)裏に以下の墨書銘がある。

延命像仁平三年四月廿一日供養

 これにより平安時代末期の仁平三年(1153)頃に制作されたことが分かり、平安仏画から鎌倉仏画への過渡期を示す同時代の基準作例となる貴重な仏画として、国宝に指定されている。

 この菩薩像は、時の近衛天皇(在位1142~1155)の病気平癒を願って、父鳥羽上皇が各地の寺院に下賜したものと伝わる。持光寺では、天皇の代替わりごとに法要が営まれ、本像が懸架されている。

持光寺蔵「絹本著色普賢延命像」の概要

 持光寺蔵「絹本著色普賢延命像」は、竪長な画面いっぱいに四大白象の背に坐る二十臂の菩薩と白象の頭頂に四天王を描き収めている。掛幅装に仕立てられ、画面の大きさは竪146cm、横85cm。

 頭様はまず淡い墨線で下描きした後、彩色を加え、それに墨線や色線で描き起こして仕上げられている。普賢延命菩薩は二十臂の多臂像の姿で、頭上に五仏の宝冠を頂き、頭光・身光を負う。二十の手には金剛界曼荼羅における十六大菩薩と四摂菩薩の標識を執る。

 肉身は黄金色ではなく白身で表される。肉身に濃い隈取りを施すのは、平安前期の仏画に多く見られる現象で、それに倣ったものと考えられている。画貌では、左右に太く弧を描く眉の表現が特徴的とされる。

 右手にまつわる裳は、高尾曼荼羅の大安楽不空真実菩薩と共通する部分がある。まあ白象に乗る四天王は『陀羅尼集経』や『般若守護十六善神王体』に基づいて描かれており、平安前期の仏画にならったような描写が見られるという。

 一方で、象頂の四天王に見られる力強い動きの表現や、随所に隈を入れて立体感を示そうとする手法は、鎌倉時代へと展開する方向を示しているとされる。

参考文献

  • 広島県立歴史博物館 編 『令和6年度 夏の企画展 名宝が織りなす歴史物語−広島県の国宝・重要文化財Ⅳ−』 広島県立歴史博物館 2024
  • 柳沢孝 「仁平三年銘の持光寺蔵普賢延命菩薩絵像」( 東京文化財研究所文化財情報資料部 編 『美術研究』254 1967)

【絹本著色普賢延命像】
令和6年度 夏の企画展「名宝が織りなす歴史物語-広島県の国宝・重要文化財Ⅳ-」の看板を撮影

*1:特に天台宗の総本山である延暦寺では四箇大法の一つに加えられている重要な修法。天皇の即位の直後あるいはその前に行う三壇御修法(如意輪・不動法・延命法)の一つでもあり、天皇の御一代の弥栄と安泰と長寿とを祈るためのものとされる。