毛利家臣の益田元祥が所持していた葉茶壺。寛永二十一年(1644)の「益田元堯諸道具譲渡目録」に「小嶋葉茶壺」としてみえる。中国明朝の華南地方で製作された華南三彩壺であり、現在は益田市東町の萬福寺が所蔵している。
萬福寺の華南三彩貼花文五耳壺
島根県益田市東町に所在する時宗の古刹萬福寺は、応安七年(1374)十一月に益田兼見によって創建された。益田氏にとっては重要な寺院であり、兼見は永徳三年(1383)に作成した置文の中で「御道場」(萬福寺)について、自身が「興隆奔走」し「本道場」にしたのだと記している(「益田家文書」853)。
この萬福寺には寺宝として「華南三彩貼花文五耳壺」が所蔵されており、現在は益田市指定文化財に指定されている。華南三彩壺はトラディスカント壺とも呼ばれ、16世紀後半から17世紀初頭までに中国明朝の華南地方で製作された「華南三彩陶」の一器種とされる。
萬福寺の「華南三彩貼花文五耳壺」には「益田家より拝領 おしまの壺」「箱寄附者 増野重家大正拾壱年弐月」の銘記がある箱が伝わる。萬福寺の性格も鑑み、萬福寺所蔵の華南三彩壺は益田家から寄進されたものと考えられている。
益田家伝来の葉茶壺
寛永二十一年(1644)二月、毛利家臣益田元堯は子の益田就宣へ譲渡する「諸道具」の目録(「益田元堯諸道具譲渡目録」)を作成する。この目録の最後には「右者、従牛庵公御譲之前、不残譲渡者也」とあり、目録の「諸道具」はもとは元堯の祖父牛庵公(益田元祥)が所持していたものであった。
この目録の中に「小嶋葉茶壺 壱つ」がみえる。前述の萬福寺所蔵の華南三彩壺の箱の銘には「おしまの壺」とあることから、この益田元祥が所持していた「小嶋葉茶壺」は「おしまはちゃつぼ」と読み、のちに「おしまの壺」と呼ばれる華南三彩壺として萬福寺に伝わったと推定される。また「葉茶壺」とあることから、益田家では茶道具として用いらていたことがうかがえる。
なお大正元年(1912)の益田家所蔵の道具が記された「御道具取調帳」には「小嶋壺」が記載されている。このことから「小嶋葉茶壺」と呼ばれた華南三彩壺は大正元年から同十一年の間に萬福寺に寄進された可能性が高いとみられる。
益田家が近代においても旧領である益田に文化的な貢献を行っていたことがうかがえる*1。
壺の概要
萬福寺所蔵の華南三彩壺である「小嶋葉茶壺」は、器形は高さ27.4cm、口縁部径13.2cm、胴部最大径28cm、底部17.4cm。
ほぼ完形品であるが、僅かに肩部に付いていた5個の輪形の耳のうち2個を欠いている。これは茶葉を保存する壺として使用する際に布の口を覆う都合で、故意に二つを欠いて三つだけ残したものと考えられるという。
内外面ともに褐釉を施し、外面には黄色釉を二度掛けした上で、貼付け文様以外の部分を刷毛状のものによって緑釉を塗布する。文様は、胴部4面を宝相華文と六弁花文が交互に連続して飾り、その間をやや角張った横長の貼付け唐草文が繋いでいる。裾部には、蓮弁が間隔をあけて施される。
製作年代は17世紀のものとの指摘があり、この場合は益田元祥が益田から須佐に移った後に入手したことになる。またこの壺には、蓋と紐も付属している。蓋は撚金糸(よりきんし)で刺繍をほどこした裂(きれ)であり、蓋・紐ともに壺と同時期に作られたものである可能性が指摘されている。
なお萬福寺と同じく益田氏の崇敬が厚かった勝達寺(瀧蔵権現の別当寺)には、同じく華南三彩系の壺が伝わっていた。こちらは貼付けではなく黄釉を塗布して牡丹文を描いており、「小嶋葉茶壺」よりも新しい17世紀前期のものと推定されている。
参考文献
- 佐伯昌俊・西尾克己 「益田市萬福寺所蔵 華南三彩壺」(日本貿易陶磁研究会 編 『貿易陶磁研究』第33号 2013)
- 中司健一 「益田地域に現存する益田家伝来品について」(角野広海・的野克之・森かおる 編 『図録 石見の祈りと美−未来へつなぐ中世の宝−』 島根県立石見美術館 2025)
- シンポジウム「益田家の至宝とその伝来」 2025年5月10日 於:島根県芸術文化センター「グラントワ」小ホール

島根県立石見美術館 開館20周年記念企画展「石見の祈りと美−未来へつなぐ中世の宝−」
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