戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ツラメラ Thulamela

 東南アフリカのリンポポ川中流域の都市。南アフリカ共和国リンポポ州にツラメラ遺跡として残る。トルワ系の支配者を頂き、インド洋交易に関わっていたことが推定されている。

トルワ王国の影響

 ジンバブエ高原南西部に栄えたトルワ王国の影響は、南のリンポポ川の南岸にまで及んだ。今日のリンポポ川中流域、さらには南アフリカのゾウトパンスベルグ山脈一帯に残る「石の壁」遺跡の多くはトルワ時代に建築されたものであるとされる。また15世紀中頃から、カミ(トルワ王国の王都)式土器の使用がみられる。

 この地域のベンダ人の口承伝説によれば、トルワ移住者は「タバツィンディ」、支配的集団は「トベラ」と呼ばれていた。

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ツラメラ遺跡

 ツラメラ遺跡は、ゾウトパンスベルグ山脈の東端、クルーガー国立公園の北の端に位置する。リンポポ川低地帯を展望する丘の上に築かれており、複数の石のエンクロージャー(囲壁)から構成されている。

 ツラメラには、丘を中心にして最盛期で2000人ほどが住んでいたと推定されている。遺跡からは金の腕輪やインド製ガラスビーズ、明朝時代の中国陶器片、象牙製品などが発見された。このことから、ツラメラがリンポポ川沿いのインド洋交易に従事することで栄えていたと推測されている。

 また出土品の中には、鉄製二股ゴング*1や鍬、槍、銅や貝殻製の身体装飾品、さらに紡錘具や針が含まれていた。

 トルワ王都のカミで出土したカミ式土器も見つかっており、炭素測定では15世紀中頃から17世紀中頃までという結果が出ている。ベンダ人の口碑をふまえると、ツラメラはトルワ系の支配者・トベラ人が支配する都市であった可能性が高い。

王の埋葬

 ツラメラの支配者は、丘の上のエンクロージャー(囲壁)内部で大量の金やビーズの副葬品とともに埋葬されていた。このうち、女性は両手を頰の下に置いた姿であった。これはベンダ人が「ロシャ」と呼ぶ敬意のポーズであるという。

 別のエンクロージャーでみつかった「王」と思われる男性は、死後すぐに葬られたのではなく、一度骨になるまで放置された後で葬られていた。これもベンダ人の間で共通してみられる葬儀のやり方であるという。

参考文献

*1:グレートジンバブエで出てきたゴングとほとんど同じ形。中央アフリカや西アフリカにおいて神聖王のシンボルとされるもの。