戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

生口 元清 いくち もときよ

 小早川生口氏の当主。小早川煕平の子。小早川敬平、乃美是景の弟。将軍・足利義植の近江遠征に従軍した。

沼田小早川氏の系図

 室町期の沼田小早川氏の系図によると、小早川煕平の五男に生口元清がみえる(「小早川家文書」)。

 生口氏は初代の惟平以来、公実守平と受け継がれてきた。惣領家出身の元清がその家督を継承した事情は不明だが、生口氏は改めて惣領家との協調関係を強めていったと考えられる。

畿内への従軍

 延徳三年(1491)八月、将軍・足利義植が近江守護・六角氏を討伐するために出陣し、近江・園城寺に陣を布いた。義植の軍勢の中には、幕府奉公衆であった沼田小早川敬平および生口氏や浦氏、梨子羽氏、土倉氏ら沼田小早川氏の六庶子家も加わっていた。

 出陣に際して六庶子*1は連名で、軍勢動員に応じる代わりに国許のことについて心配りをしてくれるよう、小早川敬平に対して求めている。そこに生口氏の代表者として「生口元綪」が名を連ねている(「小早川家文書」224)。この人物が、前述の系図にみえる元清であろうといわれる。

 沼田小早川勢は、園城寺の陣門警備を担当。庶子家衆は警備の順番を籤で決めており、「生口方」は「三番福」*2となっている(「小早川家文書」226)。

参考文献

大日本古文書 家わけ十一ノ二 小早川家文書之1-2
国立国会図書館デジタルコレクション)

*1:生口元清の他は、梨子羽元位、土倉継平、上山高豊、小田元範、浦煕氏。

*2:順番は「一番福 浦方」「二番禄 小田方」「三番福 生口方」「四番寿 土倉方」「五番禄 梨子羽方」「六番寿 上山方」と定められている。福禄寿?