戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

木谷 景諦 きだに かげあき

 竹原小早川氏の一族。官途名は備中守。三津村を獲得した 竹原小早川氏によって木谷(現在の広島県東広島市安芸津町木谷)支配を任された。

木谷に菩提寺を開く

 文政八年(1825)に完成した『芸藩通志』では、木谷の慶寿院について「木谷備中が香花院(菩提寺)なりしといふ、開基詳かならず」としている。

 寺伝によれば、南北朝期の天授五年(1379)に木谷備中守景諦なる者によって開創されたとされる。慶寿院は当時は大慶寺と号しており、享保十六年(1731)に慶寿院と改称した。

竹原小早川氏の三津村獲得

 もともと木谷氏は、小早川仲義の代で別れた分家であった。惣領家から知行地を給付される「家子」であるとされている(『小早川弘景置文』)。

 正平十三年(1358)に、竹原小早川氏は三津村(木谷・三津・風早)を獲得した。慶寿院の寺伝は、竹原小早川氏から分かれた木谷氏が、木谷支配を始めた時期と符合する。本拠である木村城と連絡する木谷に一門を配置し、木谷氏を名乗らせたと考えられる。

関連人物

参考文献

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安芸津町木谷の慶寿院にある宝篋印塔と五輪塔群。木谷氏のものと伝わる。