戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

檜垣 肥前守 ひがき ひぜんのかみ

 呉衆・檜垣氏の当主*1。現在の呉市阿賀にあった龍王山城の城主として、「檜垣肥前」の名が伝えられている(『芸藩通誌』)。

檜垣氏の旧領

  天文二十三年(1554)十月、小早川氏奉行人の末長景道や乃美宗勝らが金山右京進賀茂郡広浦の内の百貫文の地を打ち渡した。その際の書状に、旧領主の一人として呉衆・山本四郎(賢勝)や一族の檜垣淡路守らとともに、檜垣肥前守の名がみえる。

 このとき、金山右京進に打ち渡された肥前守の旧知行地は阿賀の田畠・13貫730文分と公文給分の田畠・4貫五50分であった。

小早川氏による呉占領

  肥前守の知行地が小早川家臣の金山右京進に打ち渡された背景には、肥前守ら呉衆の領地喪失がある。天文二十三年(1554)、毛利氏が大内氏に叛旗を翻した際、呉衆はいったんは毛利氏に人質を差し出す。しかし七月、山本賢勝が「呉惣衆中」を率いて毛利方から大内方に転向したため、八月には一帯が小早川氏家臣の乃美宗勝や末長景道らによって占領された。

 おそらく肥前守も賢勝に組して大内方に立ったため、領地を小早川方に没収されたものと思われる。その後も呉衆の一員として賢勝らとともに毛利方と戦ったと思われるが、以後の消息は不明。

参考文献

  • 下向井龍彦 「第三章 中世の呉」 (呉市史編纂委員会・編 『呉市制100周年記念版 呉の歴史』 2002)

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阿賀の龍王山城跡主郭から眺めた阿賀の町並み。龍王山城は「檜垣肥前」の居城と伝えられる。

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龍王山城の遠景。画面中央の小丘に龍王山城が築かれていた。

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龍王山城の主郭部。

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龍王山城の山頂に鎮座する龍王神社の社。

*1:当主の一族の可能性もある