戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

三宅 胤信 みやけ たねのぶ

 白井備中守の家臣。新左衛門。田所左衛門尉胤近の弟。府中城において大内軍と戦った。出自は在庁官人から豪族化した田所氏とみられる

白井備中守に加勢

 天保十年(1839)頃書写された「長福寺過去帖」には、「三宅(田所)胤信、武芸の達者強弓の名あり。その時、当所領主白井備中守殿の加勢の頼みにより義隆と戦い勝利を得て帰陣の後、恩賞として差前の刀譲られける」との記録がある。

 また同じく江戸期の「芸備郡中筋者書出」の中に、府中村の庄屋をつとめた弥右衛門と新左衛門の先祖についての史料があり、彼らの「五代之祖父」にあたる三宅新左衛門(胤信)の事績が記されている。

 これによると新左衛門(胤信)は、白井備中守が50日の籠城戦を行った際、手柄を立て褒美として刀を授かったという。府中城にける大内方と白井備中守の攻防戦は、特に大永七年(1527)三月から六月にかけて激しく展開された。胤信もこの籠城戦で活躍したのだろうか。

安芸武田氏滅亡後の三宅氏

 天文十年(1541)の安芸武田氏滅亡と前後して、胤信は浪人となった。胤信の子、兵部は後に毛利輝元に仕えて活躍したという。しかし関ヶ原合戦後の輝元の長州移封には同行せず、府中に留まって医者となった。兵部の子、弥左衛門は毛利氏に代わって安芸に移ってきた福島正則に仕えたが、正則改易後は府中村の庄屋となった。

参考文献