戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

糸賀 藤棟 いとが ふじむね

 厳島神主家の被官。中務丞。 宣棟の兄。廿日市に近接する宮内などに所領を持ち、新堤築造などの開発事業にも携わった。

大内氏との合戦で活躍

 大永四年(1524)、厳島神主・友田興藤に従って大内氏と戦った。実名の「藤」は、興藤からの偏諱とみられる。『棚守房顕覚書』には、桜尾城篭城戦の際に高名をあげた者として「絲賀中務丞(藤棟)、舎弟平左衛門尉(宣棟)」がみえる。

新堤を築造

  天文十四年(1545)四月、藤棟は興藤滅亡後に大内氏によって厳島神主とされた佐伯景教(杉隆真)から、佐西郡平良庄内の「廿日市洲賀後新堤之内」を給与されている。堤の内の給与は、私財を投下して新堤を築造したことに対する褒賞とみられる。

 藤棟が相当の財力を持ち、かつ新堤築造を行い得る技術、及び技術者を擁していたことがうかがえる。

 藤棟の弟の宣棟は廿日市で「浮口」を徴収するなど、厳島神主家の経済政策に関わっていた。藤棟が投下した資本や技術者も、糸賀氏の経済活動に関わるものであるのかもしれない。

毛利氏に従う

  天文二十三年(1554)、毛利氏が大内氏(陶氏)に叛旗を翻して廿日市厳島など佐西郡を占領した際には、宣藤と同じく毛利氏に従ったとみられる。このためか天文二十四年四月、厳島の大願寺円海から、宮内などにあった大願寺の買得田の管理(年貢の神納)を依頼されている。

参考文献

  • 廿日市町史 資料編Ⅰ』 1979
  • 秋山伸隆 「室町・戦国期における安芸・石見交通」 (『史学研究』218 1997)