戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ホイアン Hoi An

 ベトナム中部、トゥーボン川の河口に形成された港町。16世紀末から日越貿易の拠点となった。「交趾」(コーチシナ)とも呼ばれたベトナム中部に位置する。

 ホイアン周辺は古くから海外交易の拠点であった。遺跡からは中国の貨泉や五銖銭、中国鏡などの他に、ホイアン沖のチャム島からは9世紀前後のイスラムガラスやイスラム陶器も出土している。

16世紀の発展

 16世紀後半、ホイアンに広南阮氏の勢力がおよぶ。以後、海外貿易港として大きく発展する。

 ホイアンに1618~22年に滞在した宣教師クリストファロ・ボルリは、同地について「最も美しい港は、外国人のすべてが寄港し、有名な物産会があり、その港はクァンナム(広南)に属している。」と記している。

ホイアン周辺と日本との交流

  日本との関係では、1585年(天正十三年)、日本人の5隻の大型船がベトナム海上で盗みをはたらいて阮氏の水軍に撃破されており(『大南寔録前編』)、日本人のベトナム海域での活動が確認できる。

 また1593年(文禄元年)には、薩摩から3隻の商船が交趾に向かったことが、薩摩に潜入した中国人によって報告されている(『敬和堂集』巻五「請計処倭酋疏」)。

日本商人と日本町の形成

 ミラノ出身のイエズス会宣教師クリストフォロ・ボルリは、中国人と日本人がダンチョン(広南阮氏)の主要な貿易商人であると記している。日本人は4~5万銀を、中国人は絹と多くの商品をもたらすと記録している。

 またボルリは「この都市はフェイフォ(ホイアン)と呼ばれ、大きな都市で二つに分けることができる。ひとつは中国町でありもうひとつは日本町である。」とも記している。ホイアンに「日本町」が形成されていることが分かる。

 宣教師アレキサンドロ・ド・ロードはホイアンの特産品として「金鉱、胡椒、生糸、砂糖、沈香海燕の巣」を挙げ、砂糖を日本に輸出しているとしている。これら南海の品々が日本、中国の商人らによって取引されたのだろう。

関連交易品

参考文献

  • 菊池誠一 「ベトナムの港町―「南洋日本町」の考古学」 (歴史学研究会 編 『港町の世界史② 港町のトポグラフィ』 青木書店 2006

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世界遺産ホイアンの古い町並み from写真AC