戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

沼田市 ぬたいち

 沼田川河口部の自然堤防上に形成された市場(市庭)町。埋立てが行われる以前、沼田川河口部には入海が深く入り込んでいたという。南北朝期以降、沼田小早川氏の支配がおよんだ。

鎌倉期の沼田市

 史料上の初見は、応長二年(1312)二月四日、四朗太郎友氏が「ぬたのいちの比丘尼しやういの御ハう(房)」に土地一か所を売却した旨の売券案とされる。この土地の四至は北と南が「大道」、西が「小路」、東が「万才助家」であった。

 正和三年(1314)に転売された時には、「屋敷」と記されている。鎌倉末期には、市町としての形成が進んでいたことがうかがえる。

沼田小早川氏の政策

 南北朝期頃には、町場が形成されて物資の交換が活発に行われるようになったと推定されている。沼田本郷の国人・小早川氏の家臣たちの中にも沼田市に居住したり、市場の住人と関係を深める者が増えていった。この為に暦応三年(1340)、小早川宣平は不時の戦闘に間に合わないことを理由に「市」に住む家臣には対面を許さない旨の置文を出している(「小早川家證文」19号)。

 さらに宣平の子の貞平は文和二年(1353)、三ヶ条の市場禁制を発布(「小早川家證文」25号)。一つは小早川氏被官(家臣)がの「沼田市庭」の住人と縁組したり、市場に宿所を置いてはならない、というもの。

 二つ目は「沼田市庭」の住人の娘を家臣の若殿原(若い者たち)の妻や妾とすることを禁止すること。三つめは「沼田市庭」における裁判は小早川氏が直接行うというものだった。

 この背景には、沼田市が小早川家臣を含む多くの人間をひきつける流通拠点であったことと、流通掌握を狙う小早川氏の政策があったものと思われる。

室町・戦国期の繁栄

 室町期の永享五年(1433)六月付の「小早川氏知行現得分注文写」という史料によると、沼田川右岸の安直郷「本市」(現三原市沼田東町本市)に300軒、左岸の小坂郷「新市」(現三原市長谷町荻路)に150軒の在家があった。また「本市」には、土蔵(土倉)1ヵ所があった(「小早川家證文」) 。

 15世紀には、沼田本荘内にある仏通寺の建立事業に小早川氏の一族とならんで「前倉」、「本市倉」、「新宮市倉」などの名が寄進者として名がみえる(「小早川家證文」) 。彼らは市場の土倉と考えられており、小早川氏の造営事業に協力していたことがうかがえる。

 文明十二年(1480)頃の史料には「安直新市」がみえ、小早川氏は代官に真田助九郎を派遣して市場の管理を行わせていたことが知られる(「小早川家證文」)。 天文十八年(1549)には、「本市」の「玉蓮妙祐禅尼」が仏通寺に十貫文の寄進を行っている(『仏通禅寺住持記』)。この頃にも本市に富裕な商人がいたことが分かる。

原城下への移転

 しかし天正十年(1582)頃、小早川隆景が本拠を新高山城から三原城に移す。これにともない、沼田市の商人たちも三原城の城下へ移転し、沼田市は衰退したといわれる。

参考文献

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現在の沼田新市。沼田川の左岸。

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沼田東町本市の町並み。

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沼田東町本市の風景。

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三原市沼田東町本市の徳寿院門前。

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徳寿院の石塔群。五輪塔や宝篋印塔の残欠多数。

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徳寿院にある石塔。宝篋印塔と五輪塔のパーツが混ざり合っている。刻まれた梵字ははっきりと読み取れる。

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沼田神社の鳥居。

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萬性寺。現在は無住なのだろうか?

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萬性寺の石塔群。五輪塔の火輪と宝篋印塔の塔身か。

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萬性寺に残される宝篋印塔。数基が確認できるが、笹に覆われている。萬性寺には大和西大寺系の石工である「大工念心」銘のある宝篋印塔残欠(塔身)があるらしいが・・・。

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本市橋から眺めた沼田川

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鳥越谷(小坂町)の東旭院にある石塔群。宝篋印塔や五輪塔の残欠が多数残されている。「天文十二年五月八日慶公常賀」銘の宝篋印塔残欠(塔身)があるらしい。