戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

白市 しらいち

 安芸国高屋盆地東端に位置する市町。現在の広島県東広島市高屋町白市。国人領主平賀氏の拠城・白山城の城下町ともなった。急な坂道に沿って町場が形成されている。坂の上に元暦元年(1184)創建と伝えられる養国寺があり、元々は同寺の門前町であったとする説がある。

白山城の築城

 江戸期に作成された「国郡志書出帳」によれば、平賀氏が白山城在城の時、高屋東村の内を城下として分け、白市としたとされる。平賀弘保は文亀三年(1503)に白山城を築城し、御園宇城(東広島市高屋町高屋堀)から移っている。この時白市の町が城下町に編入されたとみられる。

 白山城西麓には永正二年(1505)に平賀弘保が建立したという光政寺がある。ここから北麓にかけては「武者畠」「夢屋敷」「鉄砲屋」「京阿弥」「右京殿」と呼ばれる地名が残る。さらに西側の谷を隔てた所には、「御土居」「明屋敷」「御屋敷」「的場」「土居ノ内」などの地名が伝えられている。城主や家臣団が屋敷を構え、商工業者が城下に集住していたことを示すものだろうか。

白山の番匠

 田万里八幡宮広島県竹原市田万里町)の棟札によれば、平賀弘保は天文年間に大檀那となって同社の造営を行った。この時、入野大工一人とともに白山大工一人、白山小工十一人など「白山」の番匠たちが動員されている。当時、白山城下に多くの職人たちが住んでいたことがうかがえる。

参考文献

f:id:yamahito88:20210708215610j:plain

西福寺から眺めた白市の町並み。

f:id:yamahito88:20210708215653j:plain

白市の町は坂道に沿って軒を連ねている。

f:id:yamahito88:20210708215734j:plain

白市の町の路地。

f:id:yamahito88:20210708215816j:plain

重満家住宅。江戸末期の商家土蔵造。

f:id:yamahito88:20210708215850j:plain

白市の町並みと城山(白山城跡)。

f:id:yamahito88:20210708215931j:plain

木原家住宅。寛文五年(1665)の鬼瓦があることから、江戸期初めに建てられた商家と推測される。国指定重要文化財

f:id:yamahito88:20210708220107j:plain

伊原惣十郎家住宅。明治期の特徴を持つ豪壮なつくり。

f:id:yamahito88:20210708220146j:plain

養国寺の山門。四脚楼門。江戸期の元禄年間の建築。

f:id:yamahito88:20210708220225j:plain

白市稲荷神社の石垣。平賀氏の館(「御土居」)の石垣を移設したもの。

f:id:yamahito88:20210708220348j:plain

西福寺境内に残る宝篋印塔や五輪塔の残欠。

f:id:yamahito88:20210708220414j:plain

光政寺の本堂。

f:id:yamahito88:20210708220447j:plain

白山城跡の遠景。同城西北の県道351号線から。

f:id:yamahito88:20210708220519j:plain

白山城跡北麓の石造物。石仏や五輪塔の残欠。

f:id:yamahito88:20210708220603j:plain

桜福岡八幡宮の社殿。本殿は享保元年(1716)の建築。