厳島の対岸に位置する厳島神社外宮・地御前神社*1の門前町。同じく対岸に位置する廿日市とともに、瀬戸内海の要港・厳島と安芸国西部を結節する役割を担った。
山間部物資の積出港
応仁元年(1467)、周防秋穂の正八幡宮が修造される際、玖波の問丸・中務の仲介により安芸国西部の山間部・吉和で切り出され、地御前に運ばれた。地御前からは所務代・温科国親が厳島で調達した船に積み込まれて、秋穂に海路輸送された(『周防秋穂八幡宮旧記』)。
地御前は、吉和など安芸西部地域と結びつく木材などの物資積出港の一つであったとみられる。また厳島と結びついて、瀬戸内海流通の一端を担う港であったことがうかがえる。
地御前南町遺跡にみる広域流通
地御前南町遺跡からは、中国製の青白磁や日本の陶磁器、土師質土器、瓦器などの中世遺物がみつかっている。土師質土器の特徴からみて、大部分の遺物は15世紀後半から16世紀全般にわたるものと推定されている。
出土遺物の種類、量からかなりの建物が建っていたとみられる。中国製や日本製の陶磁器、瓦器などの存在から、遠隔地との交易が行われていたことがうかがえるという。
参考文献