戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

伊部 いんべ

 備前国の片上湾に臨む港町。中世、皇室領香登荘と、その西方約五キロにある吉井川流域の物資集散港となった。また室町・戦国期に西日本全域で使用された備前焼の生産・流通拠点としても栄えた。

 13世紀後半になると山陽道が通過するようになる。これにより伊部は、陸路と海路を結節する交通の要衝となった。

備前焼の生産地

 応安四年(1371)、九州へ向かう今川了俊が『道ゆきぶり』に、「かゞつといふさとは、家ごとに玉だれのこがめといふ物を作ところなりけり」と記している。当時の伊部地域で、家ごとに「玉だれ」、つまり釉薬がのった小甕を生産していた様子を描写している。

 伊部とその周辺の山地では当時、既に備前焼の生産が盛んだった。15世紀後半には窯が、流通に都合の良い伊部周辺の山麓や浦伊部地区に移り、畿内をはじめ西日本各地に流通量を拡大させていく。

備前焼の積出港

 伊部はこの備前焼の搬出港でもあった。文安二年(1445)における関税台帳である『兵庫北関入舩納帳』によれば、この年、伊部船が25回にわたり兵庫北関に入港し、総計で1000個以上の備前焼とみられる「ツホ(壷)大小」を運び込んでいる。同時に兵庫や堺の船も「ツホ」を運んでいる。伊部には備前焼を求める畿内からの船も、入港していたことが窺える。

地域の水運拠点

 また伊部船は、備前焼の他にも米やマメ、小麦、胡麻蕎麦、芋(芋麻布の材料)などを運んでいる。香登荘や吉井川流域など内陸部広域の物資積出も担う水運の拠点でもあった。

関連交易品

参考文献

  • 「第三章 第四節 荘園の商業と交通」 (『岡山県史 第五巻 中世Ⅱ』 ) 1991

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片上の富田松山城から眺めた浦伊部。

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浦伊部の太閤門の前の通り。

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天津神社の裏山の展望台から眺めた伊部の町。

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備前焼の生産地である伊部の町には多くの登り窯が建っている。

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備前焼でできた塀。

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伊部の南大窯跡。備前焼の最盛期にあたる桃山期から江戸初期にかけて使われたという。

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天津神社の神門。備前焼瓦で葺いてある。

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長法寺石造宝篋印塔。南北朝期頃の製作と推定されている。

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長法寺阿弥陀如来石仏。様式から室町期頃の製作と推定されている。