戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

三良坂 みらさか

 三次盆地南東部の市町。現在の広島県三次市三良坂町

「三郎坂一所九日市」

 天正三年(1575)八月、岡伯耆守、同鶴次郎は毛利輝元から「三郎坂一所九日市」を与えられている(『閥閲録』82)。戦国期、三良坂における市場の存在が知られる。現在の三良坂町沖江地区に古市の地名が残っており、ここがかつての九日市だったとみられる。

三吉と吉舎をつなぐ

 江戸期には三次・吉舎両駅の間駅としての役割を果たし、町役人がおかれていた。三良坂からは馬洗川を西に向かえば三吉、粘ヶ峠を越えて南に吉舎があり、両者をつなぐ街道の要衝だったとみられる。

 同じく江戸期には石見銀山尾道を結ぶ石見路(赤名越)交通の発達に伴い、三良坂の中心は沖江地区(古市)から現在の馬洗川北岸の街道筋(三良坂地区)に移っていった。

参考文献

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現在の三良坂町三良坂の町並み。

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三良坂の町並み。

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三良坂の町並み。

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三良坂の町並み。

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三良坂町を流れる馬洗川。江戸期は三次への河川水運も盛んだった。

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三良坂町の沖江地区。古市の地名が残っており、戦国期の「九日市」があったと思われる。

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鬼王塚。富士の裾野の仇討で有名な曽我十郎祐成の愛妾虎御前の従者鬼王洞三郎の墓と伝えられる。虎御前と洞三郎は曽我兄弟の霊をとむらうべく全国行脚の途中、沖江の里で死んだという。

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三良坂の沖江地区と吉舎をつなぐ粘ヶ峠の碑。

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知波夜比古神社。