戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

大砲(オランダ) たいほう

 オランダでは16世紀半ば以降、大砲への需要が急速に高まった。その背景にはスペインと恒常的に戦争状態にあったこと、海軍の組織化と武装化が必要だったこと、海外への商業的進出を本格化させていたことなどが挙げられる。

大砲製造の始まり

 17世紀になると、オランダは自国での大砲生産を開始する。マーストリヒトユトレヒトアムステルダムロッテルダム、デン・ハーフなどに大砲工場を開設し、国外から輸入した錫と銅で鋳銅砲の生産を開始した。錫はイギリスとドイツから、銅はスウェーデンと日本から輸入して資材に充てていた。

日本への移入

 大阪冬の陣の最中の慶長十九年(1614)十一月、日本では徳川家康長崎奉行・長谷川藤広からまもなくオランダから大砲が到着する旨の報告を受けた。数量は十二門。玉の重さは四貫(約15キログラム)から五貫目もあるという当時としてはとてつもない大型砲だった。

 慶長二十年(1615)二月に牧野信成が国友兵四郎らに宛てた書状によれば、この大砲は絵図を添えてオランダに注文したものだった。信成は兵四郎らに国友で銃腔を研磨し、台金物をつけることを依頼している。オランダから日本への大砲輸入の早い例といえる。

兵器産業の発達と輸出拡大

 オランダは「死の商人」として知られるトリップ商会*1と共同して鉄製銃器の販売を本格化させ、それが結果としてオランダの武器市場の発展を促した。武器商人はオランダの武器をデンマークイングランド、フランス等に販売した。これによりオランダ国内で兵器産業が著しく発達。また武器の売却量が増加したことでスウェーデンからの銅および鉄製銃器の輸入も増大していった。

 兵器貿易展開の結果、アムステルダムはヨーロッパにおける武器・弾薬の主要な市場として、オランダ経済の一翼を担うようになった。フランスの宰相リシュリュー(1585~1642)はアムステルダムに常駐の期間を置き、大量の鋳銅砲、鋳鉄砲、マスケット銃、火薬などを調達。ルイ14世の代ではコルベール(1619~83)がデン・ハーフとアムステルダムなどの都市に常駐の通商機関を置き、大砲を大量に買い付けている。

参考文献

*1:エリアス・トリップ:大砲商人。アムステルダムやドルトレヒト等で大砲やその資材となる銅や鉄を商うほか、イギリスとロシアからは鋳鉄砲も輸入した。