イギリスの大砲製造は、15世紀末頃から始まった。国王の援助もあって、16世紀半ば以降、イギリス製の鋳鉄砲はヨーロッパで高い評価を受け、主要な輸出品のひとつとなった。
イギリスの大砲製造と輸出
大砲生産は順調に発展し、1573年にはサセックスに8基、ケントに1基の炉を設け、年間500~600トンの鉄が大砲やその砲弾に鋳造されていた。1600年頃には年間生産量は800~1000トンに増加していた。
高い生産力と評価を獲得したイギリスの鋳鉄砲は、16世紀後半の数十年から17世紀初めの数十年の間、オランダ、スペイン、フランス、スウェーデン、デンマークにも輸出されるようになった。
日本への移入
イギリスの大砲は大阪冬の陣の際に、日本にも移入された。慶長十九年(1614)十二月五日付でリチャルド・コックスが平戸から東インド商会に送った書簡によると、カルバリン砲4門、セーカー砲1門が千四百両で、他にも火薬十樽、鉛一万一千斤が徳川家康によって買い上げられた。