17世紀初頭、ペルーのリマに住んでいた日本人。職業は、ひだ襟職人。
リマ在住の日本人
1607年(慶長十二年)から1613年(慶長十八年)にかけて、書記官ドン・ミゲル・デ・コントレラスによるリマの人口調査が行われた。これによると1613年、リマには20名の日本人が住んでいた。
その一人であるハポンは、当時26歳で、マンガサッテ(長崎か?)出身。ペルー副王ファン・デ・メンドンサ・エ・ルナと同時期に、リマに到着したとされている。メンドンサは、1607年(慶長十二年)に着任しているので、ハポンも同年か翌年あたりにリマにやって来たものと推測される。
ハポンは、ひだ襟職人であり、サン・アングスティン通りで店舗を経営していた。リマにはハポン以外にも、2人の日本人ひだ襟職人がいたことが分かっている。
身請けして結婚
またハポンは結婚しており、相手は24歳のアンドレア・アナだった。彼女はインドネシアのマカッサル出身で、1603年(慶長八年)からリマに住んでいた。ハポンは奴隷の身分であった彼女を、300ペソで身請けし、結婚に至った。彼が十分な経済力を持っていたことが分かる。