メキシコ、ユカタン半島東部(キンタナロー州)のカリブ海沿岸にあったマヤ都市。1200年頃から16世紀のスペイン人征服期まで、交易港として栄えた。
海に臨む要塞都市
高さ約12メートルの絶壁上に立地した。都市の一方は海に、三方は厚さ6メートル、高さ5メートルに達する石壁により防御されていた。石壁には持ち送りアーチの出入り口が五つあり、北西と南西の角には物見塔が立っていた。石壁内の面積は、6.5ヘクタールであるという。
都市の建造物
主要な神殿ピラミッド「エル・カスティーヨ」は、高さ7.5メートルの基壇のうえに小さな神殿を頂き、チチェン・イツァの建築様式と類似する。「フレスコ画の神殿」と「急降下する神の神殿」は、壁画や漆喰彫刻で装飾されている。
スペイン人の見たトゥルム
1518年(永正十五年)にユカタン半島に遠征したスペイン人ファン・デ・グリバルバ一行は、トゥルムを目撃した。グリバルバの航海日誌には、「セビリアにも勝るとも劣らない大きな町」や、その「高い塔」に驚嘆したことが書かれている。後者は、「エル・カスティーヨ」を指すとみられる。
参考文献
- 青山和夫 『シリーズ:諸文明の起源11 古代マヤ 石器の都市文明』 京都大学学術出版会 2005