戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

マヤパン Mayapan

 メキシコ、ユカタン半島北部(ユカタン州)にあったマヤ都市。マヤの後古典期前期にあたる1150年ごろに勃興した。後古典期後期におけるマヤ低地北部最大の都市であり、ユカタン半島北部の広範な地方に及ぶ政治同盟の首都であった。

ユカタン半島北部の中心都市

 民族史料によれば、マヤパンは、イツァ・マヤ人のココム家によって統治された。マヤパンの支配者は、メキシコ湾岸地域出身の傭兵を有したとされる。また、政治同盟を結んだ各地方の支配者の家族は、マヤパンに住むよう義務付けられ、忠誠を誓ったという。

防御壁と人口密集

 都市は、全長9キロメートルにおよぶ石造の城壁で囲まれていた。城壁には12の門があり、その内部には26のセノーテ*1と、4千以上の建造物が密集していた。その都市形態は、住居が広範囲に散在するそれ以前のマヤ都市とは異なっている。

 一方、都市の範囲は城壁の外にも広がっていた。最近の調査によれば、 8.8平方キロメートルほどあったとされる。都市全体の推定人口は1万7000人。

宗教施設と交易

 都市中心部には、高さ15メートルの「エル・カスティーリョ」ピラミッドがあった。これはチチェン・イツァの同名の大神殿を模したミニチュア版であり、マヤパン最大の神殿ピラミッドであった。

 マヤパンの支配層は、彫刻が施された少なくとも13の石碑および無彫刻の25の石造記念碑を建立した。彼らは、主要なマヤの神々を造形した土器の香炉の大量生産を組織し、広範な遠距離交易に従事した。

滅亡

 民族史料によれば、マヤパンは1441年(嘉吉元年)にシウ家の反乱によって破壊されたとされる。その後、ユカタン半島北部は、マニ、ソトゥータ、ホカバなどに中心を置く小国家が割拠する時代を迎える。

参考文献

  • 青山和夫 『シリーズ:諸文明の起源11 古代マヤ 石器の都市文明』 京都大学学術出版会 2005

f:id:yamahito88:20210813212222j:plain

マヤパン遺跡 from「写真AC」

f:id:yamahito88:20210813213100j:plain

マヤパン遺跡 from「写真AC」

*1:ユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のこと