戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

フランシスコ・ハポン ふらんしすこ はぽん

 16世紀末、南米アルゼンチンのコルドバに在住していた日本人。

南米で売られる日本人

 1596年(文禄五年)七月十六日、コルドバポルトガル人奴隷商人ディエゴ・ロペス・デ・リスボ*1により、フランシスコは神父ミゲル・ジェロニモ・デ・ポラスに売られた。売値は800レアルであった。

 その際の記録には、「フランスシコ・ハポンという名の日本出身の日本人奴隷であり、外見から二十歳前後と思われる」とある。ここから考えれば、フランシスコは1575年(天正三年)頃に日本で生まれたことになる。またフランシスコは、ある戦争の最中に捕獲され、奴隷となったことも記録にみえる*2

奴隷身分解放訴訟

 1597年(慶長二年)三月四日、フランシスコは自分は(身分的に)奴隷ではないとして、奴隷身分からの解放を求める申し立てを行った。訴訟の知らせは、サンティアゴ・デル・エステロにいたロペス・デ・リスボアに伝わった。

 神父ミゲル・ジェロニモ・デ・ポラスはチリに異動となり、フランシスコを商人バルタザール・フェレイラ*3に引き渡し、800レアルを受け取った。同時にバルタザール・フェレイラは、フランシスコの訴えが認められ、自由の身となった場合は、ポルトガル商人ディエゴ・ロペス・デ・リスボアから800レアルを受け取る権利を手に入れた。

 この訴訟でフランシスコは、自由を獲得したとみられる。1598年(慶長三年)十一月三日、バルタザール・フェレイラが持っていた、神父ミゲル・ジェロニモ・デ・ポラスに対するフランシスコの代金800レアルを請求する権利が、リマとサンティアゴの複数の市民に譲渡されている。フランシスコが、奴隷身分でないとする判決が出た結果と推測される。

参考文献

*1:商人リスボアは、フランシスコを奴隷貿易商アントニオ・ロドリゲス・デ・アベガから手に入れた。

*2:当時のヨーロッパの基準では「正しい戦」で捕らえられた奴隷が、召使いや奴隷として売られるのは、合法的なことであったという。当時、ポルトガル国王が日本人の奴隷化禁止を明言しており、「正戦」での捕虜であることを、取引可能の根拠にしていたとみられる。

*3:バルタザール・フェレイラは奴隷商人で、ブエノスアイレスとチリのサンティアゴの商人たちと組んで商売を行っていた。彼は、ブラジルを経由して、スペイン領南米地域に来るアンゴラ人奴隷の取引に関わっていた。