戦国期には京都で作られていたお菓子。小麦粉、黒砂糖、葛粉を材料とし、これらをこねたものを蒸して作られた。饅頭に比べて安価だったらしい。
織田信長への贈り物
南蛮餅という食べ物は、天正年間には存在した。天正十年(1582)三月、上賀茂神社(賀茂別雷神社)から織田信長への贈り物*1の一つに「なんはんもち(南蛮餅)数百」がみえる(「天正十年三月文分職中算用状」)。他には馬の飾りや串柿、「まめあめ」、「ひらひくり(平干栗)」などが贈られている。
なおこの時、上賀茂神社は百個の南蛮餅の調達に銭換算で200文を支出している。1個あたり2文という割り切れる値段であることから、当時南蛮餅は1個ずつ販売されていた可能性がある。同じ天正年間、上賀茂神社は饅頭1個を3文、薄皮饅頭1個を4文で購入しているので、南蛮餅の価格は比較的安いものだった。
南蛮餅の作り方
江戸初期成立の『南蛮料理書』には、以下のように製法が記されている。
一 なんはん餅の事
麦のこ、くろ砂糖、くすのこ、少入、こねて、むして、切申なり。口伝有之。
南蛮餅が、小麦粉と黒砂糖と葛粉をこねて蒸して切ったものであったことが分かる。
参考文献
- 金子拓 『戦国おもてなし時代 信長・秀吉の接待術』 淡交社 2017