タバコはアメリカ大陸からヨーロッパへと伝わり、17世紀初頭には、日本でも流行が始まっている。同じ頃、琉球でもタバコが普及し始めていた。
琉球へのタバコの伝播
ヨーロッパに伝わったタバコは、やがて東南アジアにも伝播。1575年に、スペイン人によってルソン島に持ち込まれたという。琉球は東南アジアとの交流も盛んであり、渡航した琉球人が現地でタバコにふれる機会があったかもしれない。
慶長八年(1603)から三年間にわたり琉球に滞在した僧侶・袋中は、著書『琉球往来』の中で「烟草事、右、南蛮国より出て諸国に入る」と記している。南蛮渡来のタバコが、琉球でもすでに知られていた可能性がある。
文献上、琉球へのタバコ伝来時期を明示したものは知られていない。1713年に琉球国王へ上覧された『琉球国由来記』では、万暦年間(1573〜1620)に薩摩から琉球へ伝来してタバコの栽培が始まったという推測が記されている。
琉球でのタバコの普及
浦添城跡(沖縄県浦添市)から、キセルの火皿が12点出土している。素材は瓦質、陶器質、青銅質の三種類。浦添城の住人たちが「喫煙」していたことが分かる。なお浦添城は慶長十四年(1609)の島津氏による琉球侵攻の際、兵火によって炎上したと伝えられている。出土した火皿が浦添城炎上以前のものであれば、島津氏侵攻以前に琉球では喫煙が普及していたとも考えられる。
また西表島北西部の祖納の上村遺跡では、14世紀中期〜16世紀後半の中国青磁などが多数出土する地区で、煙管の雁首が発掘されている。これと同一タイプのキセルがカンドウ原遺跡(石垣島)、与那良遺跡(西表島)などからも出土している。
寛永十二年(1635)八月、島津氏が琉球の三司官に対し「たはこ出物」銀二分を有位の衆を除く全ての琉球人に賦課することを命じている。琉球におけるタバコの普及が、課税の背景にあったと思われる。
キセルの生産と輸出
1617年に開設された湧田窯(那覇市泉崎の県庁周辺)跡から、17世紀頃の陶器製キセルが見つかっている。湧田窯は琉球でも最大規模の窯場で、陶器製キセルの生産拠点の一つであると考えられるという。
17世紀後半には、琉球から中国へキセルが輸出されている。1672年の「琉球進貢船壱艘ニ積候荷物之覚」によれば、212本の「きせる」が積まれ、代銀は七十四匁二分、一本あたり三分五厘とある。
「唐官人方へ土産品」と明記された別の史料では、「幾世留二十対」や「刻たばく百五十斤程」とある。このことから進貢船に積まれたキセルやタバコは、福建の官人への土産の贈答品として使われたとみられる。