戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

狸 たぬき

 中世、狸は日常的に食べられていた。特に酒の肴として中央、地方を問わず好まれていたようである。

新見荘市場の狸

 備中国北部の荘園、新見荘。応永八年(1401)十一月、荘園領主である京都の東寺の代官の支出帳簿に、「百文 たぬき さけ(酒) いちハ(市庭)にて」「百卅文 十一・十四(十一月十四日) たぬき こふ(昆布) ミつはやとの(水速殿)へ」「七十文 たぬき皮代」がみえる(「備中国新見松領家方所下帳」『教王護国寺文書』)。

 代官は狸や昆布以外にも鯛や小魚、わかめ、大根、豆腐、そうめん、兎なども買っている。酒も併せて買っていることから、頻繁に行われる酒宴の肴を調達していたようである。

狸を売る者

 酒の肴にするために市庭で狸を購入するという話は、狂言の「隠狸(かくしだぬき)」にもみられる。

 酒宴の肴に狸汁をつくるため、主人は太郎冠者に狸を市庭で買ってくるように命じるが、実は太郎冠者は前日に自分が釣った大狸(狸を餌で誘って釣ったらしい)を市庭で売りたかった。太郎冠者の様子を怪しんだ主人が、市庭に先回りしてみると、太郎冠者が狸を売ろうとしている。そこで主人は太郎冠者に酒をすすめ、断り切れずに酒を飲んで酔っぱらった太郎冠者は、結局、隠し持っていた大狸がばれてしまう。

狸料理

 「隠狸」でもそうだが、狸の食べ方として多かったのは、狸汁だった。『山科家礼記』の文明四年(1472)十二月には、「今朝狸汁」とある。奈良の興福寺多門院の僧侶も、天正九年(1981)に「狸汁」を食べている(『多門院日記』)。これは本当に狸の肉を食べたのかもしれないし、あるいはコンニャクを狸の肉にみたてたもどき料理であったのかもしれない。

 『言継卿記』の明応三年(1494)には、「今日狸汁用意、高倉・甘露寺など四人招く。」とある。公家たちの間でも、狸汁はよく食べられていた。

贈り物

  豊後の大友氏の年中行事について記された『当家年中作法日記』によれば、一月三日には「白鳥一〇、つる一〇、雁三〇、水鳥一〇〇、雄(雉?)一〇〇、兎・狸五〇以上三〇〇竿ばかり」が贈られ、夜半まで乱酒とある。兎や狸は、竿にさされて贈られたらしい。酒の肴としての狸が、贈り物としても喜ばれるものであったことがうかがえる。

 安芸国厳島社でも、造営事業の際に関係者に配賦された礼物に狸がみえる。永禄四年(1561)の大鳥居棟上の際には「肴賦」として「大工殿」に「たぬき一ツ、雉一ツ、魚三かけ」が贈られ、元亀二年(1571)の厳島社殿の再興の際には「棟上番匠衆」に対して、「樽(酒)五ツ」や「きしの鳥 二はね」、「鯛 二かけ」などとともに「たぬき一ツ」が礼物として配当された(「大願寺文書」)。

参考文献

  • 江後迪子 『信長のおもてなし 中世食べもの百科』 吉川弘文間 2007
  • 斉藤研一「中世絵画に見る動物の捕獲・加工・消費」(小野正敏・五味文彦・萩原三雄・編『考古学と中世史研究6動物と中世-獲る・使う・食らう-』高志書院 2009)