能島村上氏の系図で、上関に在城していたとされる人物。村上武満の父とされている。
江戸期村上氏の系図
能島村上氏の系図である「北畠血統正伝系図」によれば、村上氏の祖・村上義顕の第二子に義有がいる。吉敏はこの義有の子とされ、「防州上関在城」と記されている。幼名は「源三郎」。受領名は「阿波守」。子に対馬守武満。
天満宮の常夜燈
上関城の麓に鎮座する菅原神社(天満宮)には、江戸期の明和元年(1764)に毛利藩船出組組頭・村上図書広武*1が奉納した常夜燈が残されている。
この常夜燈の銘文*2には、防州竃門関(上関)の城山(上関城)を村上義顕が築き、その第三子の阿波守吉敏が守り、その子の対馬守武満が継いだとある。上記の系図とは少し違うが、吉敏と武満の存在は共通している。
「中国九州御祓賦帳」にみる上関の村上氏
「中国九州御祓賦帳」は伊勢神宮の御師・橋村氏が各国の旦那をまわり、守り札を配付した記録であるが、これの享禄五年(1532)の項によれば、当時上関に「上関村上殿」と「同村上弥三殿」なるものがいた。
これが上関と村上氏との関わりを示す初見史料とされる。村上氏は16世紀前半の時点で上関に進出し、伊勢神宮御師の檀家となっていたことが分かる。吉敏が実在の人物であれば、この二名のどちらかである可能性が高い。