戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ナント Nantes

 フランス西部、ビスケー湾に注ぐロワール川の河口から58キロメートル上流に位置する都市。古代より大西洋とフランス内陸部を結びつける機能を担い、交通・経済の要衝として栄えた。

ヨーロッパの南北をつなぐ

 13世紀前半、ブルターニュ公ピエール1世は、海上交易を振興するためナントの新しい市壁に二つの船着場を併設した。このロワール川に面した船着場により、ナントは河川交通の要衝となる。

 これによりロワール河口産出の塩や流域のぶどう酒、ブルターニュ半島の小麦、麻織物などの産物が集まり、ナントはブルターニュ産品の集積港として南北ヨーロッパの中継港としての地位を獲得していく。すなわち、塩とぶどう酒を主にイギリス諸島とオランダに輸出し、引き換えにイギリス諸島からバターや塩漬け肉、獣脂、羊毛を、オランダからは松材とタールを輸入する。小麦と麻織物はイベリア半島に輸出され、帰り荷としてオリーブ油と乾燥果実が輸入された。

外国商人の移住

 このような状況のもとで、遠隔地商業の担い手である貿易商人と金融業者がナントに流入してくる。ユダヤ人、イタリア人に続き、14世紀半ばからはイギリス諸島出身者が増加する。イギリス商人は元来、ナントで塩とぶどう酒を買い付けていたが、1343年(康永二年)にブルターニュ地方が塩税免除地域として設定されたことを契機に、集積港ナントでの活動をより積極的に展開するようになった。

 15世紀初頭からはスペイン人が流入してくる。1430年(永享二年)のスペイン=ブルターニュ条約により、スペイン商人はナントでの商取引について関税を免除されるとともに、行政職に就く権利をあたえられた。

発展と都市機能の強化

 1420年(応永二十七年)、フランス商人と外国商人は共同で自治組織を結成し、ブルターニュ公からロワール河川航路を管理する権利を得た。これにより、ナントはトゥールやオルレアンなど河川中流域の諸都市との経済関係を強化し、国外からの輸入商品販売市場を確保することができた。1500年(明応九年)から1580年(天正八年)までにナントの都市税収は3倍に増加し、その多くが船着場の整備と拡張事業に用いられた。

ドイツ、オランダ商人の来住

 17世紀に入ると、南アメリカおよびアンティル諸島産のタバコや砂糖を買い付けるドイツ人およびオランダ人の商人がナントに来住するようになる。1598年(慶長三年)に出された「ナント王令」によってプロテスタントを受け入れる素地があったことも、彼ら北ヨーロッパ諸地域出身の商人を引き付けることとなった。

参考文献

  • 大峰真理 「近世フランスの港町と外国商人の定着ー国際商業都市ナントとアイルランド・ジャコバイトー」(歴史学研究会・編『港町の世界史③港町に生きる』 青木書店 2006)