戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ペルシア絨毯 ぺるしあじゅうたん

 ペルシア(イラン)産の高級絨毯。宮廷工房を中心とする都市の工房で作られた。優れた素材を用い、高度な技術とデザインを持つ職人の手によって織られ、洋の東西で高く評価され、珍重された。

ペルシア絨毯の起源

 ペルシア絨毯の起源は、はっきりとはしていない。しかしパルティア王国時代(前250~後224)とサーサーン朝時代の遺跡から出土した亜麻布やフェルトの断片に、パイル絨毯の断片が付着しており、最も古い例の一つになっている。

絨毯生産の背景

 中東のカーペット生産地は、ほぼ北緯30~45度のあいだの特定の地域に集中している。この帯状に展開する絨毯製作地は、カーペット・ベルトと呼ばれている。

 これら地域は乾燥気候の下にあって羊の飼育に適しており、羊毛製品の需要も高かった。また地域の住民にムスリムが圧倒的に多く、モスクには絨毯が敷き詰められ、個々の礼拝でも絨毯が用いられるなど、大きな内需があった。

中国・ヨーロッパへの移出

  主要産地や集積地は、シルクロードに代表される東西の交易路網によって結ばれていたことから、ペルシア絨毯は早くからヨーロッパや中国へと移出された。古くは敦煌莫高窟第220窟に描かれている唐代(642年)の壁画「薬師浄土変相図部分」に、サーサーン朝ペルシアの絨毯と思われる連珠文の敷物が描かれている。ヨーロッパでもルネサンス時代の絵画に、実に多くの絨毯が描写されている。

ペルシア絨毯の発展

 16世紀、ペルシアではサファヴィー朝が興り、ペルシア文化の爛熟とともにペルシア絨毯もさらなる飛躍を遂げる。

 現存するペルシア絨毯の傑作「アルダビール絨毯」は、このサファヴィー朝の第二代シャー・タハマースプの治世下の1540年頃に製作された。たて糸、よこ糸にそれぞれ絹、パイル糸に羊毛を使って織られ、サイズは10.52×5.54メートルという特大の絨毯である。

羽柴秀吉の陣羽織

 日本においては、16世紀末頃からペルシア絨毯の移入が確認される。京都東山の高台寺には、羽柴秀吉所用の伝承を持つ陣羽織がのこされているが、これはペルシア産の綴織(キリム)で仕立てられていた。

 この陣羽織の素材となったキリムは、金糸、銀糸を交えた絹織物で鳥獣を図柄とする。同様の素材・図柄で、非常に近似した綴織が、敷物の形でヨーロッパに残っている。文様を見ると、ひし形の囲みの中に鳥、猛獣、鳥獣闘争文などが織り出されている。二つともカーシャーンかイスファハーンの王立工房か、または指定工房で作られたものと想定されるという。

オランダ東インド会社による日本移入

 オランダ東インド会社の記録によると、1617年~1634年に徳川秀忠、家光をはじめ諸侯、高官に様々な献上品を贈っている。その中には、毛氈、金銀刺繍入り鹿狩模様入毛氈、ペルシア産卓子掛などの品名が見える。

 現在、徳川美術館が所蔵しているペルシアやインド(ムガル帝国)の絨毯も、同社から贈られたものであるという。

参考文献

  • 杉村棟・監修 広島県立美術館 プロダクト・プランニング・センターK&M・編 『特別展 ペルシャ絨毯の世界 図録』 プロダクト・プランニング・センターK&M 2006