戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ジョルジェ・アルヴァレス じょるじぇ あるばれす

 ポルトガルの貿易商人兼船長。16世紀の前~中期頃に東アジアで活躍した。イエズス会宣教師ザビエルと深い信頼関係にあった人物であり、ザビエルの日本や中国での布教を援助した。

ザビエルの友人

 フランシスコ・ザビエルは、1548年一月二十日付の書翰の中でアルヴァレスについて「非常に信用に値する人物」としている。ザビエルの同伴者であったアンジローも「(フランシスコ師の)大の友人」と記している。

出身地

 かつて同僚であったメンデス・ピントの『遍歴記』によれば、アルヴァレスの出身地はポルトガル北部のスペインとの国境に近い村フレイショ・デ・エスパーダ・ア・シンタとされているが、確証はない。

 1548年十一月二十九日付アンジローの書翰に「たまたま、私は、名前をジョルジェ・アルヴァレスというある船の船長であるポルトガル人と出会った」とあるから、アルヴァレスがポルトガルの貿易商人兼船長であったことが分かる。

薩摩山川への来航

 天文十五年(1546)春または初夏頃に、アルヴァレスは日本に来航し、薩摩の山川に初冬頃まで滞在した。アルヴァレスが得た日本の知見は1547年十二月にアルヴァレスが執筆した「日本報告」から知ることができる。この報告書からは、半年に満たない日本滞在期間中に、彼が地理や環境、風俗、生活習慣、宗教などを非常に細やかに観察していたことがうかがえる。

アンジローを匿う

 またアルヴァレスは日本を離れる際、殺人を犯して役人に追われていたアンジローを匿ってマラッカに同伴している。アンジローの書翰によれば、アルヴァレスはアンジローをザビエルに面会させることを思い立ち、マラッカへの航海中にアンジローに対してザビエルの行跡やキリスト教の教理などを教えていたようである。

ザビエルに日本情報を伝える

 しかしアルヴァレスがマラッカに到着した際、ザビエルは不在であった。アンジローは、日本に帰国するためにいったん中国まで戻っていった。翌1547年、再びマラッカに渡航してきたアンジローと再会したアルヴァレスは、彼をザビエルに紹介し、アルヴァレス自身もザビエルに日本布教は大きな成果が期待できることを説いている。

 先述の「日本報告」も、より詳細な日本の情報を求めるザビエルの依頼を受けて執筆したものだった。ザビエルが日本布教を決意したのは、アルヴァレスの上記のような活動が大きかったといわれる。

アンジローをゴアへ送る

 同年、アルヴァレスは、アンジローを聖パウロ学院のあるインドのゴアまで送り届けている。ザビエルは自分の乗ってきた船でアンジローをゴアに同伴しようとしたが、アンジローが以前から名誉と友情を受けていたポルトガル商人との同行を望んだため、アルヴァレスの船に同乗することになったようである。

ザビエルとの再会

 アルヴァレスは、その後も中国沿岸での貿易に従事していた。1552年、ザビエルが中国布教のためにマカオ沖のサンシャン(上川)島に入港した際、この地に滞在していたアルヴァレスと再会している。アルヴァレスは以前と同じようにザビエルを援助し、ザビエル一行に二ヵ月半ほど宿を提供した後、マラッカへと出港していった。

参考文献

  • 岸野久「ジョルジェ・アルヴァレスと日本情報(一五四七年)」(『西欧人の日本発見-ザビエル来日前 日本情報の研究-』 吉川弘文館 1995 )
  • 岸野久「ザビエルの日本開教とポルトガル商人の役割」(『ザビエルと日本』 吉川弘文館 1998)