呉市を代表する観光名所の一つ、入船山記念館。国の重要文化財「旧呉鎮守府司令長官官舎」や「歴史民俗資料館」があり、呉市のサイトでも「呉の歴史をたどるにはまたとない施設」とされています。
そんな「旧呉鎮守府司令長官官舎」の奥に、一つの石塔が建っています。
灯籠ではありません。宝篋印塔という形式の石塔です。特に案内板はありませんが、実は500年以上前の室町時代に作られたものかもしれないのです。
さて、みなさんは「清盛塚」をご存知でしょうか?
音戸の瀬戸を開削した平清盛を供養する為に、建立されたと伝えられる宝篋印塔です。現在、音戸の瀬戸の小島に建っています。こちらは県指定の史跡で、室町時代の作と推定されています。
一方で「旧呉鎮守府司令長官官舎」が建設される以前、入船山には亀山神社という神社がありました。
中邨末吉著『音戸瀬戸開削の謎』(呉市郷土史研究会 1977)によると、この亀山神社の境内にもかつて「清盛塚」があったことが社記にみえるそうですが、いつからか行方不明になっていたとのこと。
しかし明治時代の呉鎮守府開設工事の中で、偶然掘り上げられました。往時は海辺に建っていたものが、ある時海に転がり落ちて、そのままになっていたのです。
発見された宝篋印塔は、亀山神社の社記にみえる「清盛塚」とみなされ、長官官舎の庭で丁重に祀られることになり、現在に至ります。
鎮守府長官官舎と音戸の瀬戸の二つの「清盛塚」。両者の関係性は不明ですが、同じくらいの時代に作られたと推定されています。
呉は明治時代に鎮守府がおかれ、軍港として近代化していきました。しかしそれ以前から海上交通の要衝として、長い歴史があるのです。
入船山記念館に行かれた際は、是非もう一つの「清盛塚」を探してみてください。