戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

火砲(対馬) かほう

対馬の前期倭寇が用いた火砲。鋳鉄製。中国明朝から日本に移入されたものとみられる。

今倉殿 いまくら どの

備後南部、芦田川河口部の港町草戸を拠点とした金融業者。草戸千軒町遺跡から出土した15世紀後半の木簡にその名が見える。

草戸 くさど

備後国南部、芦田川河口部の港町。鎌倉期に成立し、地域経済拠点としての役割を果たしながら、16世紀初頭まで存続した。なお集落の名称は時代によって「草津」、「草井地(くさいじ)」、「草出(くさいつ)」、「草土(くさど)」、「草戸(くさど)」な…

深津(備後) ふかつ

備後国の福山湾に面した港町。中世までは蔵王山から南へ突き出た深津丘陵によって深い湾が形成されていたとみられる。現在の広島県福山市東深津町。9世紀の文献に市場の賑わいが記されており、中世においても活発な商取引があったと推定される。

マンガゼヤ Mangazeya

シベリア北西部、タズ湾に注ぐタズ川河畔の都市。1600年(慶長五年)にロシア・ツァーリ国の遠征隊によって建設されたことを始まりとする。毛皮資源獲得の拠点であり、北極海沿岸航路やオビ川を経由して多くの商人や狩猟者が来航した。

漆器(備後) しっき

備後国で生産された漆器。広島県福山市草戸町の草戸千軒町遺跡からは、多くの漆器とともに、へら等の漆塗りの道具も出土している。

佐志 さし

佐志川河口部の潟湖に面した港町。現在の佐賀県唐津市佐志地区。中世、松浦党・佐志氏の本拠となった。遺跡からは中世の湊の遺構が見つかっており、栄えた交易港であったことが推定されている。

モンバサ Mombasa

インド洋上の小島・モンバサ島北東部の港町。現在のケニア共和国南東部に位置する。12世紀にはアラブ人地理学者イドリーシーの地理書にその名がみえる。アフリカ内陸部との象牙交易と、その象牙を対価としたインド洋交易で栄えた。

マリンディ Malindi

ケニア南部、インド洋に面する港町。12世紀にはアラブ人地理学者イドリーシーの地理書にその名がみえる。インド洋交易で栄え、15世紀初頭には中国明朝の使節も来航。15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマ来航以後は、ポルトガルと協力関係を結んだ。

モガディシュ Mogadishu

インド洋に面するアフリカ東端の港町。現在のソマリア共和国の首都モガディシオ。12世紀後半から13世紀初め以後に、アデンからキルワ王国に至る航海上の寄港地として急速に発展した。織物や砂糖、象牙、黒壇等の特産品の輸出港としても知られた。

グレートジンバブウェ Great Zimbabwe

東南アフリカに栄えたグレートジンバブウェ国の王都。サビ川の支流ルンデ・ムトゥリクウェ川の上流地域でジンバブウェ高原の南縁に位置する。グレートジンバブウェの丘や、その南麓のグレートエンクロージャーなどの遺跡群等から往時の繁栄が知られる。

工 十郎兵衛 たくみ じゅうろうひょうえ

安芸国安北郡深川の檜物師。毛利元就から「佐東領中檜物師」の頭領に任じられた。

長崎 房康 ながさき ふさやす

大内家臣。幼名は道祖寿丸。仮名は小太郎。官途名は兵部丞。長崎元康の子。事秀の父。自身と同じ屋代島衆の沓屋景頼に嫁いだ妹がいる。毛利氏の出雲侵攻の際、警固衆として活躍した。

長崎 房次 ながさき ふさつぐ

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は隼人佐、後に丹後守。長崎安親の子。元直、但馬守某、真定の父。娘が二人おり、沓屋景頼の子の喜三郎・元綱兄弟に嫁いだ。厳島合戦後に屋代島衆をまとめて毛利氏に仕え、防長経略や豊後大友氏との合戦で警固衆として活躍し…

長崎 元康 ながさき もとやす

大内家臣。幼名は才徳丸。仮名は弥八郎。官途名は与三右衛門、後に左近将監。長崎安親の養子。房康の父。沓屋景頼の妻となった娘がいる。大内氏の合戦で警固衆を率いて活躍したが、天文十二年(1543)、出雲遠征において討死した。

長崎 勝親 ながさき かつちか

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は勘解由左衛門尉。周防国大島郡島末庄を本拠とする長崎氏の当主。盛親の子で、重親の孫にあたる。

長崎 重親 ながさき しげちか

大内家臣。官途名は隼人佐、後に丹後守。盛親の父。周防国大島郡島末庄を本拠とした。大内盛見死後は、持世に味方してその勝利に貢献した。

マプングブウェ Mapungubwe

東南アフリカのリンポポ川とシャシ川の合流点に位置する都市。マプングブウェの丘と麓一帯に形成された。インド洋交易で栄え、最盛期には3000から5000の人口があったと推定されている。

ツラメラ Thulamela

東南アフリカのリンポポ川中流域の都市。南アフリカ共和国リンポポ州にツラメラ遺跡として残る。トルワ系の支配者を頂き、インド洋交易に関わっていたことが推定されている。

カミ Khami

ジンバブエ高原南西部を支配領域としたトルワ王国の王都。現在のジンバブエ共和国第2の都市ブラワヨの西20キロメートルに位置するカミ遺跡がその跡地と考えられている。

キルワ Kilwa

アフリカ東岸沖に浮かぶ小島キルワ・キシワニの港町。現在のタンザニア連合共和国リンディ州キルワ県。キルワ王国の王都であり、金や象牙、奴隷などの貿易によって繁栄した。

梨子羽 元春 なしわ もとはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は右京亮。元位の子か。大内義興に従い、幕府から梨子羽郷地頭公文両職などを安堵された。

梨子羽 元位 なしわ もとただ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。熈景の子で、元春の父か。史料上の初見は延徳三年(1491)頃。元位が生きたと思われる応仁文明の乱から15世紀末頃までの間で、梨子羽氏をとりまく環境には大きな変化があったことが推定される。

椋梨 むくなし

沼田小早川氏の有力庶子家・椋梨氏の本拠地。現在の広島県三原市大和町椋梨。椋梨氏の居城である堀城の周辺には、屋敷地や市場、寺院などがあったと推定されている。

スコータイ Sukhothai

スコータイ王朝の王都。タイの北部、現在のムアンスコータイ郡の旧市街。13〜14世紀に栄え、現在もスコータイ遺跡群として残っている。また同王国で生産された陶器は日本にも輸入され、宋胡録と呼ばれた。

小早川 犬女 こばやかわ いぬめ

鎌倉期の沼田本荘梨子羽郷の地頭。法名は浄蓮。小早川茂平の長女。舟木常平・小早川雅平の妹で、竹原小早川政景、赤川忠茂の姉。梨子羽郷で領家と争い、勢力を拡大した。

梨子羽 時春 なしわ ときはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は中務大輔。沼田小早川春平の三男で、則平の弟。沼田荘梨子羽郷北方を与えられ、庶子家・梨子羽氏の初代となった。

梨子羽 熈景 なしわ ひろかげ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。仮名は又四郎。時春の子で、元位の父か。宝徳三年(1451)の沼田小早川庶子家による連判契約に署名した一人。

竹原本庄 たけはらほんじょう

竹原小早川氏の居城・木村城の城下集落。本項名称は当時のものではなく、便宜的な仮称。青田山麓(現在の青田地区諏訪迫)の領主居館を中心に、寺社や町場、鍛治、防衛設備、家臣居館等があったとみられる。

竹原 たけはら

安芸国東西条方面から流れる賀茂川の河口部に位置する港町。中世、安芸国人・竹原小早川氏の外港ともなった。現在とは違い、賀茂川が注ぐ中世の竹原湾は、沖に浮かぶ横島に守られ、小島が点在する波静かな良港であったとみられる。