戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2.交易品

乳香(南アラビア) にゅうこう

ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から滲み出る樹脂。アラビア語ではルバーン(lubān)と呼ばれる。その生育地は、南アラビアや対岸のソマリア、ソコトラ島にほぼ限られる。香料や薬として広く用いられた。

ギー(イエメン) ghee

ギーとはヒンディー語で、牛や羊、山羊の乳から作られるバターを熱して不純物を取り除き、冷ますことで得られる純度の高い油脂を指す。現代では清澄バター、澄ましバター、あるいは単に調理用バター、バター油脂とも呼ばれる。

蘇 そ

牛乳を濃縮して作られた乳製品。全粉乳のようなものだったと推定されている。古代から中世前期に生産され、薬、あるいは仏教儀式における施物等として用いられた。

パン pan

日本の「パン」の語源はポルトガル語のpão、あるいはスペイン語のpanとされる。16世紀後半、日本に来航したポルトガル人あるいはスペイン人らによって、パンはその製法とともに伝わったと考えられる。

ボートル boter

乳製品の一種。いわゆるバターのこと。16世紀末にポルトガル人により日本にもたらされたとみられる。当時の日本人は乳製品を嫌っていたが、一方で薬としての需要があった。

牛肉(肥前) ぎゅうにく

16世紀、ポルトガルなどヨーロッパ人の来航により、日本では牛肉や豚肉を食べる文化が広がっていった。17世紀初頭に長崎で刊行された『日葡辞書』には、「Guiunicu(牛肉)」という単語が収録されている。「Vxino nicu(牛の肉)」と説明されており、牛…

黄飯 おうはん

豊後国や豊前国に伝来した南蛮料理。ポルトガル人宣教師らがもたらしたパエリア様の料理がもとになっていると考えられ、サフランではなく梔(くちなし)を使って米を黄色く染める。

くしいと

ポルトガル・スペインから日本に伝来した南蛮料理。魚肉や鶏肉、牛肉などとともに煮込む。長崎では鯨肉で代用したという。ポルトガル・スペインのコジートやコシードと呼ばれる煮込み料理が原型であるとみられる。

かるめいら

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。砂糖と卵白を煮つめて泡立たせ、冷まして凝固させた菓子。16世紀、ポルトガル人の宣教師らによって日本にもたらされたとみられる。

ハルテ farte

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。16世紀、ポルトガル人の宣教師らによって日本にもたらされたとみられる。当時のポルトガルでは、アーモンド入りの菓子であったらしい。日本では「はるていす」とも呼ばれた。

ナビーズ(イエメン) nabīdh

ブドウやナツメヤシから作られた発酵飲料、あるいは酒。イエメン・ラスール朝では砂糖や蜂蜜などの甘味料も加えられた。イスラームにおいては忌避されていたが、中世のイエメン(南西アラビア)では広く普及していたらしい。

スービヤー sūbiyā

小麦粉から作られる発酵飲料。酒に分類される場合もあった。また米や米粉から作るスービヤーもあった。イエメンのラスール朝では、甘味や香味が加えられたものが宮廷で飲用されていた。

フッカーゥ fuqqāʾ

大麦から作られる発泡した発酵飲料。発酵作用により、わずかながらアルコールを含有していた可能性がある。イエメンのラスール朝では宮廷でも飲用されていた。

備中紙 びっちゅうがみ

備中国で生産された紙。備中国は平安期以前から紙の産地だったが、15世紀中頃から特に檀紙類の産地として知られるようになる。備中国内では新見荘など北部地域で生産が盛んであった。

紙(新見荘) かみ

備中国北部の荘園である新見荘で生産された紙。備中国は『看聞日記』永享十三年(1441)正月十九日条に「備中檀帋」がみえるなど、高級檀紙の産地として京都でも知られていた。

備中鉄 びっちゅうてつ

備中国で産出した鉄。中世、同国の鉄は全国的な名産品であった。室町期、摂津国の商人が新見荘で「くろかね(鉄)」を質物としており、畿内の商人が鉄の買付に訪れていたことが知られる。

ビリヤニ Biryani

インドやその周辺国で食べられている香辛料とお肉の炊き込みご飯。ペルシア(イラン)料理のプラオ、あるいはプラオが元となった中央アジアのポロなどが源流ではないかとされている。1641年(寛永十八年)、ポルトガル人がパキスタン北部の都市ラホール…

トウモロコシ(ヨーロッパ) とうもろこし

中米を原産とするイネ科の穀物。15世紀末、コロンブス(クリストバル・コロン)らがアメリカ大陸から持ち帰ったことを契機として、ヨーロッパに普及した。「トルココムギ」とも呼称されたが、その由来には諸説あるとされる。

トウモロコシ(中国) とうもろこし

中米を原産とするトウモロコシは、16世紀には中国に伝播していた。16世紀後半、杭州や福建で栽培が行われていたことが記録にみえる。当時の中国においては、番麦、御麦、玉蜀黍、玉米、玉麦、玉蜀林などと呼称された。

玉蜀黍 なんびんきび

中米を原産とするイネ科の穀物。トウモロコシ。16世紀後半にヨーロッパ経由で日本に伝来したとみられる。日本では玉蜀黍と表記し、ナンバンキビあるいはタマキビと呼ばれたが、関東ではトウモロコシと呼称されるなど、地域によって様々な呼び名があった。

桟留縞 さんとめ じま

江戸期、ポルトガルやオランダの商船によって日本に輸入された縞織物の一つ。紺地に茶または赤の経(たて)縞糸を入れた縞物。その名は、インド東岸のコロマンデル地方の港市サントメ(サントメ・デ・メリアポル)に由来するとみられる。江戸初期には絹織物…

唐衣裳 とういしょう

唐人の衣装。天文年間に大友義鑑が将軍足利義晴への贈答品としている。また日明貿易に深く関わった楠葉西忍も、中国から輸入すべき品目の一つに印金を施した「道士ノ古衣」を挙げている。

イルカ(対馬) いるか

中世の対馬国の海域では、イルカなどの「大物」は、島主である宗氏への上納が義務付けられていた。一方で宗氏は海士に浦々でのイルカ漁を免許。対馬では海士を主体としたイルカ漁が近世初頭まで続いたという。

焼酎(薩摩) しょうちゅう

戦国期、薩摩国には米を原料とする焼酎(焼酒・蒸留酒)が存在していた。16世紀に薩摩に滞在したポルトガル人の報告資料にみえる。薩摩国は焼酎を作っていた中国や琉球と交流があり、そこから生産技術が移入された可能性がある。

南蛮酒 なんばんしゅ

南蛮(東南アジア)で製造された酒。琉球王国はシャム王国やマラッカ王国との貿易の中で、椰子などを原料とする酒を積極的に輸入していた。輸入された南蛮酒の一部は朝鮮や日本にも再輸出されていったとみられる。

琉球焼酒 りゅうきゅうしょうしゅ

琉球で製造された蒸留酒。1713年(正徳三年)成立の『琉球国由来記』では「米・粟・稷・麦を以って作る」とする。16世紀後半以降、琉球から薩摩島津氏への進上品にみえるようになる。島津氏はこれを「アワモリ」と称して徳川将軍家などへの贈答品とし…

豊後筒 ぶんごづつ

豊後国で製造された鉄炮。豊後国は刀剣の生産地としても知られ、鉄炮製造のための技術的・資源的な素地に優れていた。豊後大友氏は、永禄年間には将軍足利義輝から鉄炮複製を依頼されており、豊後での鉄炮製造がよく知られていたことがうかがえる。

石火矢(豊後) いしびや

戦国期の豊後国では石火矢が製造されていた。豊後を領国とする大友氏は、貿易を通じて倭寇やイエズス会(ポルトガル)勢力から石火矢技術を得たとみられる。大友氏滅亡後、その人材と技術は徳川家をはじめ各大名家に流出した。

大砲(オランダ) たいほう

オランダでは16世紀半ば以降、大砲への需要が急速に高まった。17世紀に入るとイギリスやドイツ、スウェーデン等から大砲を輸入する一方、自国でも鋳鉄砲および青銅砲の生産を開始。材料の中には、日本から輸入した銅があったともいわれる。

大砲(イギリス) たいほう

イギリスの大砲製造は15世紀末頃から始まり、国内の豊かな鉄鉱石資源を活かして鋳鉄砲の開発が進められた。その結果、16世紀半ば以降、ヨーロッパ各国に輸出するまでに大砲産業は成長する。17世紀初頭には、徳川家康もイギリス製大砲を買い付けている。