戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

仏郎機砲 ふらんきほう

子砲を砲身の後部に装着して発射する後装式の大砲。砲身は鋳銅製または鋳鉄製。ヨーロッパで開発された火砲で、アジア海域に進出したポルトガル人らによって伝えられ、東アジアにおいて急速に普及した。

火槍(日本) かそう

中国発祥の火器。火薬を詰めた筒を槍の尖端に付け、点火することで火炎を噴出する。応仁の乱の際、東軍の細川勝元らの陣営に配備された。琉球王国から現物または製造技術が移入されたと推定される。

火砲(対馬) かほう

対馬の前期倭寇が用いた火砲。鋳鉄製。中国明朝から日本に移入されたものとみられる。

今倉殿 いまくら どの

備後南部、芦田川河口部の港町草戸を拠点とした金融業者。草戸千軒町遺跡から出土した15世紀後半の木簡にその名が見える。

草戸 くさど

備後国南部、芦田川河口部の港町。鎌倉期に成立し、地域経済拠点としての役割を果たしながら、16世紀初頭まで存続した。なお集落の名称は時代によって「草津」、「草井地(くさいじ)」、「草出(くさいつ)」、「草土(くさど)」、「草戸(くさど)」な…

深津(備後) ふかつ

備後国の福山湾に面した港町。中世までは蔵王山から南へ突き出た深津丘陵によって深い湾が形成されていたとみられる。現在の広島県福山市東深津町。9世紀の文献に市場の賑わいが記されており、中世においても活発な商取引があったと推定される。

マンガゼヤ Mangazeya

シベリア北西部、タズ湾に注ぐタズ川河畔の都市。1600年(慶長五年)にロシア・ツァーリ国の遠征隊によって建設されたことを始まりとする。毛皮資源獲得の拠点であり、北極海沿岸航路やオビ川を経由して多くの商人や狩猟者が来航した。