戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

杉 長忠 すぎ ながただ

大内家臣。仮名は四郎三郎。官途名は大蔵丞。重忠、隆宗の父か。大内氏から筥崎宮領那珂西郷の知行を与えられた。筑前国内での社領をめぐる裁判に関わったことが、史料上で確認できる。

杉 隆宗 すぎ たかむね

大内家臣。官途名は大蔵丞。父は杉長忠か。博多近辺に知行を持ち、大内氏の筥崎宮への関与を担った。天文十六年度遣明船の副土官として中国に渡った。

與依地 よいち

道南の積丹半島の東の付け根・余市川河口部に形成された港町。現在の北海道余市郡余市町大川町。中世、蝦夷地(北海道)に進出した和人の最前線となった。

セタナイ せたない

北海道日本海沿岸部にあったアイヌの拠点。現在の北海道久遠郡せたな町の内。和人と西部アイヌの交易の中継地であったと考えられている。

遣明船 けんみん せん

室町・戦国期、日本から中国の明朝に派遣された船舶。チャーターされた国内商船が充てられた。天文十六年度船は、記録から船の全長や柱長が分かっている。

石見榑 いわみくれ

中世、石見の材木は「石見榑」とも呼ばれ、遠隔地にも流通していた。高津川および匹見川上流域といった益田の後背地には、これを可能にする豊富な森林資源があったことが推定されている。

柳井 郷直 やない さとなお

大内家臣。官途名は蔵人。天文十六年(1547)に大内氏が派遣した遣明使節の一員。この時の記録『大明譜』の作成として知られる。